日英関係 1930年代

英産業界の満州参入問題、突如風向きが変わる

1934年9月下旬に来日し、満州国や日本国内を視察した英国産業協会(FBI)使節団だが、その活動は本国でも度々好意的に報道されていた。それだけ、英産業界の期待は大きかったのである。世界恐慌後の不況に苦しむ英国経済界が本気で新しい市場としての...
日英関係 1930年代

英国産業協会使節団、昭和天皇に謁見

英国産業界の満州市場への参入、並びに日英の関係改善の呼び水として来日した英国産業協会使節団であるが、表向き、これに英国政府は関与していないことになっていた。しかし、これが単なる民間経済団体の使節でないことは明らかで、事実、この使節団は昭和天...
日英関係 1930年代

英経済界、満州への参入を欲す

日英不可侵協定を実現したいチェンバレン財務相は、1934年9月1日、サイモン外相にある書簡を送り、協定に反対する外務省極東部を押さえ込むよう奮起を促した。その書簡の中に同封されていた「チェンバレン覚書」の中に、満州国に関する項目があったのだ...
国際ニュース

英空母「クイーン・エリザベス」と仏空母「シャルル・ドゴール」が共同演習

6月4日、英空母「クイーン・エリザベス」が仏空母「シャルル・ドゴール」と共同軍事演習を行った。この軍事演習は地中海で行われ、「ギャリック・ストライク(Exercise Gallic Strike)」と呼ばれるものだ。 この英仏海軍の共同演習...
日英関係

英外務省内の路線対立 日英不可侵協定を巡り

英国内の「帝国派」と「財政派」からの強い支持もあり、俄に現実味を帯びてきた日英不可侵協定の締結であるが、肝心なマクドナルド首相と英外務省が消極的であった。ただ外務省内でも積極派はおり、一枚岩というわけでもなかった。 まず、英外務省側のキーマ...
国際ニュース

英空母打撃群に伊駆逐艦が合流 地中海での護衛役

先日ポーツマスを出港した英空母打撃群の近況をお伝えしたい。 6月2日の英海軍のリリースによると、空母打撃群はポルトガル沖でNATO(北大西洋条約機構)の11カ国が参加する軍事演習「ステッドファスト・ディフェンダー」に加わった。これにより、N...
秘録 BC級戦犯裁判

秘録 BC級戦犯裁判 46

第46回 ポートブレア編(25) 前回に引き続き、遺書をご紹介したい。 永翁秀雄氏は元警察官で、終戦当時の身分は海軍上等兵曹となっている。他の被告たちと同じく、昭和二十一年六月二十六日に刑死した。享年四十一歳。遺書は次の通りである。 遺書父...
秘録 BC級戦犯裁判

秘録 BC級戦犯裁判 45

第45回 ポートブレア編(24) 三橋又一氏は、東京帝国大学法学部独法科を卒業した人で、アンダマン島海軍司政官であった。昭和二十一年六月二十六日、シンガポール・チャンギーにおいて刑死した。享年四十五歳。遺書は次の通りである。 遺言〇〇様、〇...
日英関係

日英米の三角関係

戦略的、地政学的な観点から英国の「帝国派」は、伝統的に日本との連携に肯定的であったと述べたが、1930年代の「財政派」は経済的な観点により日英連携に積極的であった。英国は中国大陸に多くの権益を持っていたが、混乱の続く中国情勢を好ましく思って...
日英関係

英国の「帝国派」とは

1928年に英国内で日英同盟の復活が検討されたことは以前に述べた。この復活案が実現することはなかったが、実はその後も日本との連携は模索されていた。特に興味深いのは、日本が国際連盟を脱退したその翌年、つまり1934年に英政府内で「日英不可侵協...