日英関係 1930年代

日英関係 1930年代

尾崎秀実と日英関係

倉前盛通の著書『悪の論理』の中に、かつて昭和研究会のメンバーであった酒井三郎氏が昭和三十九年十月号の文藝春秋に発表した「昭和研究会の悲劇」という回顧録の一節が引用されている。以下はその抜粋である。 ただ、私には一つの印象に残っていることがあ...
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廣田外交と英米中2

グルー駐日米大使が3月2日にハル国務長官に送った、クライブ駐日英大使との会談の報告は、次のようなものだった。 ロンドンからの指示によりクライブは前週に廣田外相を訪ね、英国は日中関係の発展を喜んで歓迎すると述べた。廣田はこの英国の確かな励まし...
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廣田外交と英米中

廣田外相の国会での外交方針演説が英国でも注目されていたことは先に述べたが、その後、英米中これをどのように評価していったであろうか。 まず、廣田外相の指示を受け1935年1月30日、有吉特命全権公使が南京政府の汪兆銘行政院長と会談を行った。同...
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廣田外相の外交方針演説、英国でも大きく報道

1934年は日英不可侵協定が提起され、英国産業協会の使節団が日本と満州を視察し、日英関係改善に期待が出てきた年となったが、翌1935年、その流れはどうなったであろうか。 英国側も日本の出方を窺っており、新聞なども日本外交や中国問題のことは常...
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飛行家センピル卿も満州訪問を計画

1934年9月、英国産業連盟使節団(FBI使節団)が日本と満州を訪問し、英産業界が日英関係改善と英国の満州国承認を後押ししたが、このような動きを見せたのはFBI使節団だけではなかった。親日家の飛行家と知られるセンピル卿もその一人である。セン...
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英産業界の満州参入問題、突如風向きが変わる

1934年9月下旬に来日し、満州国や日本国内を視察した英国産業協会(FBI)使節団だが、その活動は本国でも度々好意的に報道されていた。それだけ、英産業界の期待は大きかったのである。世界恐慌後の不況に苦しむ英国経済界が本気で新しい市場としての...
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英国産業協会使節団、昭和天皇に謁見

英国産業界の満州市場への参入、並びに日英の関係改善の呼び水として来日した英国産業協会使節団であるが、表向き、これに英国政府は関与していないことになっていた。しかし、これが単なる民間経済団体の使節でないことは明らかで、事実、この使節団は昭和天...
日英関係 1930年代

英経済界、満州への参入を欲す

日英不可侵協定を実現したいチェンバレン財務相は、1934年9月1日、サイモン外相にある書簡を送り、協定に反対する外務省極東部を押さえ込むよう奮起を促した。その書簡の中に同封されていた「チェンバレン覚書」の中に、満州国に関する項目があったのだ...