廣田外相の国会での外交方針演説が英国でも注目されていたことは先に述べたが、その後、英米中これをどのように評価していったであろうか。
まず、廣田外相の指示を受け1935年1月30日、有吉特命全権公使が南京政府の汪兆銘行政院長と会談を行った。同時に、日本公使館の駐在武官も蔣介石将軍と会談している。これは日本の軍人としては数年ぶりとなるのだという。
31日付のタイムズ紙は上海発の特派員電としてこれを報じ、以下の論評を付け加えた。
There is nothing to indicate that the wider questions of policy now being ventilated in the Japanese Press are being discussed by Mr. Ariyoshi. But Mr. Hirota’s speech foreshadows negotiations on various outstanding points and makes it clear that the Japanese are greatly interested in establishing much closer relations with China as soon as the Chinese can be induced to meet them in conference.
現在日本の新聞各紙によって討議されている、より広範な政策の問題が有吉公使によって議論されたと示すものはまだない。しかし、廣田外相の演説はさまざまな重要な点をめぐる交渉の予示となっている。そしてそれは、中国側が彼らとの協議に応じるよう説得されれば速やかに、中国とより緊密な関係を構築したいと日本側が望んでいることを明らかにするものである。
さて、この動きに米国はどのような見方をしていたのだろうか。同年3月4日にグルー駐日米大使が米本国のハル国務長官に送った報告がある。その内容は、グルー大使がクライブ駐日英大使と会談したことの報告であるが、そこに興味深いことが述べられていた。(つづく)
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