飛行家センピル卿も満州訪問を計画

センピル卿 日英関係 1930年代
センピル卿

1934年9月、英国産業連盟使節団(FBI使節団)が日本と満州を訪問し、英産業界が日英関係改善と英国の満州国承認を後押ししたが、このような動きを見せたのはFBI使節団だけではなかった。親日家の飛行家と知られるセンピル卿もその一人である。センピル卿は帝国海軍航空隊の恩人ともいうべき人物で、1921年に来日し、水上飛行の訓練に当たった。このような人物がFBI使節団と同じ時期に日本と満州に飛来する計画を立て、日本側に打診して来たのである。1934年9月21日、ロンドンの松平大使は東京の廣田外相に宛て、次の様な電報を送っている。

倫敦商業会議所会頭にして前飛行協会長たる「セムピル」卿は本月末単身飛行機を操縦して濠州に向ひ同地に於ける「ビクトリヤ」百年祭祭典に参列後十一月末再ひ飛行機にて北上し新嘉坡、印度支那及支那を経て満州国に趣き更に日本に向け飛行の計画を有し居る処日本に於いては海軍当局の許可を得て先つ霞ヶ浦に着陸したき趣を以て右計画に対する満州国及日本当局の許可を仰ぎ度き旨申越したり。

同氏は御承知の通り霞ヶ浦航空隊建設に際し多大の功績ありたるのみならず帰来後は「ジャパン・ソサエテイ」理事の一員として事ある毎に日英親善の増進に大なる貢献を為し又飛行研究の為当国に渡来せる帝国軍人其の他の邦人に対し常に懇切なる便益を供与し居れり。

今回FBI視察団訪満後更に商業会議所会頭として同地を視察し前者の視察その他を補充する意味に於て出来得る丈努力し度き旨申し居れり。同氏の視察の結果は更に我方に有利なる状況を齎すことと信ずるに付(同氏は熱心なる満州国承認論者なり)右飛行許可方速に御詮議あり度く。(後略)

センピルは英航空産業の代弁者ともいうべき立場の人物であり、ビジネスの観点から満州市場参入に、他の産業界同様、積極的であったことは想像に難くない。ただ、それ以上にセンピルには親日的心情が強かったと思われる。1920年代初頭に帝国海軍航空隊の教官を務めたことで深まった日本との絆を、彼はずっと保ち続けていた。英国の機密情報を日本側に流したとしてMI5の取り調べを受け、その後は常に日本のスパイとして監視対象に置かれたが、戦後、戦犯裁判にかけられた日本人を救うための英国内の動きに加わっている。つまり、自分の利益にはならないのに親日の姿勢を貫き通した人物である。

しかし、このセンピルの満州視察の計画は、結局、実現しなかった。濠州までは飛行してきたのだが、それから先は諸事情のため延期となった。詳しい事情は明らかにされていないが、おそらく、英国内での反日親米派、親中派の巻き返しがあり、一旦は様子見となったのではなかろうか。訪問予定の11月は丁度、流れが変わり始めた時期にあたる。

実現こそしなかったが、センピルがこのような計画を日本側に打診し、日本側も許可を出していたという事実は、当時の日英関係を研究する材料の一つとはなるだろう。

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