1934年は日英不可侵協定が提起され、英国産業協会の使節団が日本と満州を視察し、日英関係改善に期待が出てきた年となったが、翌1935年、その流れはどうなったであろうか。
英国側も日本の出方を窺っており、新聞なども日本外交や中国問題のことは常に関心を持って報じていた。そんな中の1935年1月22日、廣田外相が国会で外交方針を示す演説を行った。そして、翌日、これが英タイムズ紙によって大きく報道された。その記事では、やはり、日中関係に大きな関心が寄せられていたが、廣田外相が英国や米国との関係に触れたところはしっかりと報じられた。以下がその件である。
Great Britain and America came in for special mention, each in the friendliest manner, but with a significant difference of tone. Conflict with the United States was unimaginable, said the Minister, but when he added that cooperation between Japan and Great Britain would be a really important contribution to world peace, he seemed to be thinking of more than the mere continuance of peaceful relations.
英国と米国も特に言及され、それぞれ最大限友好的なものであった。しかし、その語調には大きな違いがあった。外相は、米国との紛争は想像できないと述べた一方で、日本と英国の協力は世界平和に誠に重要な貢献を為すであろうと述べた。これは、英国との単なる平和的な関係の継続以上のものを念頭に置いているように思われる。
廣田外相もタイムズ紙も明らかに、前年から動き出した日英不可侵協定へ向けた動きを意識した言い方なのである。事情を知っている者がこの記事を読めば、何を意味しているのか一目瞭然である。さて、これをみて、米国と中国がどのような出てくるかが問題となるのであるが。
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