第50回 ポートブレア編(29)
今回は羽金輝世治氏の遺書をご紹介したい。羽金氏は昭和二十一年八月十六日、シンガポール・チャンギーで刑死した。享年二十六歳。遺書をご覧いただけばわかるが、知性と教養を持った若者であった。
遺書
御両親様へ
忙しく我家を出ましたのがつい昨今の様な気持ですが父母様には其後も恙なく御消光の事とのみ存じ上げます。私事今度戦争犯罪者として英印軍の手により六月十八日絞首刑を云渡され八月十六日午前九時死刑執行の予定です。
生を受けてより茲に二十有七年唯父母様の御慈育に甘えしのみにて海山の御鴻恩に報い得ず、身の不孝何卒御寛容下されませ。然し決して破廉恥的事件に非ず戦争遂行中作戦上、上官の命令を遵奉したるに対して責任を問はれたる件故、身に一点の悔心もなく顧みて莞爾として死に就き得ます。天なり、命なり悉くこれ運命の一語なりです。二十有七年の間温き父母様の御慈愛を受け実に幸福な日を過し有難く存じて居ります。老、病、死は人生の苦しむところながら人間一度生を受くれば即ち生者必滅一度は冥土への旅路を歩まねばなりません。
八月十六日午前九時私は皇国の将来と至尊の寿を絶叫しつつ散つたと思ひ下さい。今夕の心境実に平穏何の曇りもありません。他に云ひ残す事なし。唯不孝のみ残念です。輝世治は最後迄朗かに又堂々と行きます。父母様よ、只姉妹達を相手に、末永く御壮健でお過ごしくださいませ。(中略)
我一家の多幸を祈ります。
身はたとへチャンギーの露と消ゆるとも永遠に護らん国と家とを
昭和二十一年八月十五日 輝世治
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