第49回 ポートブレア編(28)
ポートブレアでの警察当局による現地住民虐待・殺害に関わったとして、羽金輝世治氏は絞首刑となった。羽金氏は海軍民政部嘱託で、アンダマン警察に勤務していた。2つの罪状で起訴され、第1の罪状で現地住民一人の殺害、第2の罪状では現地住民一人への虐待が訴因となっている。
検察によると、1944年3月、羽金被告がアンダマン警察に勤務していた当時、クリシュナというインド人が連合軍のラジオ放送を聴いていた容疑で逮捕された。羽金被告が取調べを行い、水拷問を行った。その2、3時間後、クリシュナは窒息で死亡したという。
クリシュナの事件の2週間前、羽金は調理係であったスラト・シンを取り調べていた。その容疑は、バンブーフラット病院の患者から賄賂を受け取ったというものだった。この取り調べの際、羽金は激しい暴行を加えたという。それは20分続き、その後水拷問にかけ、賄賂を受け取ったことを自白させようとしたというのが検察の主張である。
羽金氏は、当時警察署長だった三橋氏の命令でクリシュナを取り調べたことは認めたが、その容疑は病院から医療物資を盗んだことであって、連合軍の放送を聴いたためではないと主張した。ただ、その取調べ中に脅すつもりで水をかけたという。水拷問を行ったことは否定したが、その夜にクリシュナが死亡したことは認め、死因は喘息の発作と主張した。
また、スラト・シンを収賄の容疑で取り調べたのも事実だが、水拷問や暴行など行っておらず、ただ罰として木製の椅子を持ち上げさせた状態を続けさせていたと証言した。検察証人の証言は嘘であるとも証言した。
弁護人は、羽金氏が行なったことで明らかなことは、水差しの水をクリシュナにかけたことだけで、死亡との関係は立証されていないと主張した。クリシュナの様子がおかしくなったため、羽金氏は通訳の橋田進氏に命じて医者に来てもらうように頼んだ。これは被告の殺意を否定する事実であると弁護人は主張した。ラマ・ナンド医師も、44年の3月か4月の18時15分頃に、アバディーン警察署へ呼ばれていき、意識を失くして倒れているクリシュナを診るように頼まれたと語っている。
クリシュナが窒息で死亡し、それが被告の水拷問によるものだったと検察は主張するが、アーサー・スタンレー・カルドウェル医師によれば、約280グラムの水が肺に入れば窒息するには充分で、それで死亡するのに35分から1時間要するという。水の量が増えればその分時間も短くなるという。しかし、クリシュナの死亡は、羽金氏が取り調べてから7時間から12時間後のことである。遅くて、翌日の午前6時である。これが水拷問による窒息死かと弁護人は疑問を呈した。
スラト・シンの事件に関しては、シン自身の供述と検察証人ラマナンドの証言が矛盾する。このため、弁護人はこの罪状での有罪は不適当である主張した。スラン・シンの供述書では、44年の6月にスパイ容疑で被告から虐待・拷問を受けたと述べている。しかし、裁判で検察は、その事件は3月のクリシュナ事件の2週間前に収賄取り調べの際暴行されたとしていた。検察が作った起訴状と法廷での陳述が明らかに食い違うのである。こんなお粗末な第2の罪状でも、法廷はシンが虐待・拷問を受けたのは明らかだと断じた。
しかし、法廷は判決において起訴状の「6月」という記述を削除した。要は、証拠の矛盾のつじつま合わせを行ったのである。ポートブレア関連裁判では、証言も起訴状も判決も、このように杜撰なものだったのである。
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