第55回 ポートブレア編(34)
中山春美海軍上等兵曹は昭和二十一年七月三十日、シンガポール・チャンギーで刑死した。享年三十七歳。遺書は以下の通りである。
遺言
父上、母上宛
長い間御世話になりました。何一つ親孝行らしい事もせず参りますことを御詫び致します。此度唯御国の為になれかしと一生懸命働いて居りましたのでしたが、敗戦と言ふ大変事に遭遇して処断される事になりましたので、決して私事に関したことで家門を汚す様なことは絶対にして居りませんから其点御安心下さい。仮令世間の人が一時どんな眼で見ても何時かは判る時が必ず参りませう。私を信じて下さい。友達が訪ねて参る筈です。良く話を聞いて下さい。遺した妻と子等を宜しく御願ひ申上げます。どうぞ御元気で倖せに御暮し下さいます様祈つて居ります。
〇〇殿
長い事留守して苦労を重ねた上今又永別しなければならない。御前のことを考へると何と言つて良いか分らない。然しどうか、◯○郎を初め四人の子供だけは立派に育てて下さい。年老いたる両親の御面倒呉々も御願ひします。
〇〇子、〇〇郎、〇雄、〇雄殿
〇ちやんは長男の事とて皆を良い人になる様に導きお母さんに孝行を尽してくれ。
○雄ちやん、○雄ちやんは稚い時別れた切りなので御父さんの顔もはつきり覚えて居ないかも知れないが御父さんは軍人として行くべき所に先に参ります。兄さんや姉さんと仲良くしてお母さんに孝行して下さい。〇〇子さんは大きくなつて居る事とて良く判つて居るだらうが、決して御前達が世間様に恥づる様な事で死んで行くのではない。今も御父さんは晴々とした気持ちで笑つて居ます。皆で力を協せて父に代り祖父母並に母上へ孝養を尽して呉れ。
次の事は父の最後の言葉として終生忘れずに座右銘とせよ。
一、友には信を以て交はれ。
二、目下の者には仁を以て接せよ。
七度生れかへりて努めなん君と国との役に立つ迄
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