秘録 BC級戦犯裁判 56

靖國神社灯籠 秘録 BC級戦犯裁判
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第56回 ポートブレア編(35)

藤江竹夫海軍上等兵曹も中山氏と同じく昭和二十一年七月三十日にシンガポール・チャンギーで刑死した。享年三十四歳。次の様な遺書を残した。

遺書
父上母上宛
長い間御恩を蒙り今その万分の一の報恩もせず参りますことを深くお詫び致します。此の度の件に就きましては帝国軍人として当然為すべきと信じたことをしたのであり何等人道に恥づべき行為をしたのではありません。敗戦と云ふ大変動の一結果として斯うなつたのですから少しも悔いる所はなく軍人として正々堂々死地に就きます。何卒御諒承下さい。御両親様にはどうぞ幸せに長寿を保たれてお過し下さいます様お祈り致します。
兄弟御一同
懐しい昔を偲びつつ今喜んで死地につきます。御幸福を心から祈つて居ります。御機嫌よう。

松岡勇海軍上等兵曹は昭和二十一年八月十六日にシンガポール・チャンギーで刑死した。享年三十三歳。遺書は次の通り。

遺言
母上様
長い間色々御世話になりました。何等親孝行も出来ず、今戦犯者として死んで行きますこと申訳ありません。然し御国の為に一生懸命働いて斯うなつたのですから思ひ残すことは更にありません。何事も運命です。どうか母上には益々長寿を保たれ幸せにお暮しになる様祈つて居ります。
〇〇殿
色々御世話になりました。何一つして上げる事も出来ず、今又新しい苦難の道を歩ませねばならぬかと思ふと感無量です。でも私は御身の如き人を得て総べてお委せして往ける喜びは喩へ様のない喜びです。どうか体に気をつけて私の分迄親孝行して下さい。幸せに暮す様偏に祈つて居ります。
○殿
○、父は今死地に投ず。お前の幼な顔のみ瞼に残る。嘸大きくなつたことだろう。父の死もやがて了解することがあろうと思ふ。唯父は御国の為正々堂々と懸命に働いたのです。総べて戦に敗れたことが運命であつたのです。誰をも怨むことなく父の志を継ぎ御国の為に立派な人になつて下さい。
松岡〇〇殿
親類御一同様
長い間色々お世話に成りました。何等お報いすることなく死んで参りますことお詫びの申し様もありません。唯御国のため昔と変ることなく笑つて参ります。どうぞお元気でお暮し下さいます様祈つて居ります。家族のこと今後共何分宜しくお願ひ致します。

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