第47回 ポートブレア編(26)
ポートブレアでの現地労働者殺害の罪で裁かれ、橋本稔氏と黒澤貞男氏の二人は絞首刑となった。被害者とされる労働者はカーン・モハメド、サタル、サバ、アスラムの4名だが、アスラムの件に関しては橋本氏のみが罪を問われた。
検察の主張は次の通りである。1944年12月両被告は、カーン、サタル、サバの3名を盗みを働いた容疑で逮捕し、腕と脚を縛り、木の枝に吊るした。そして、その下で火を焚いて3人を焼いたのだという。カーンとサタルは焼け死んだが、サバがまだ生きていたため、橋本が自分の刀で彼の喉を刺して殺したという。
橋本氏のみが対象の第2の罪状に関して、検察は次のように主張する。1945年7月、橋本は、米を盗んだ容疑で3人の現地人労働者を逮捕し、彼らを縛り上げた。しかし、彼らは逃げ出した。数日後、アスラムという若者が再逮捕され、橋本はが撃ち殺した。現場は掘ってあった穴の淵だったので、そのまま穴に遺体を落として埋めたという。
ポートブレア関連の裁判で頻繁に登場する、現実離れした話がまたここでも出てきた形だ。
橋本氏は第1の罪状の3名の労働者を焼いたことを全面否認した。1944年12月に3人の現地労働者が米を盗んだ容疑で逮捕されたのは事実だが、翌1月上旬、橋本氏が聞いたところによると、そのうちの1名が脱走し、1名が取り調べ中に死亡し、そしてあと1名はK准尉によって射殺されたとのことであった。これは、K大尉から聞かされ、射殺はK大尉の命令だったという。橋本氏は3人の名前すら知らないと主張した。
第2の罪状のアスラム射殺の件に関して、橋本氏は、撃ったのは自分ではないと主張した。上官のT中佐が処刑を命じ、橋本氏はその命令をT軍曹に伝えただけだという。
黒澤氏は、自分に対する起訴事実は全く身に覚えがないと、全面否認した。また、3名のうちの1人を撃ったのはK准尉で、それもK大尉の命令だったと証言した。
弁護側は、検察証言の信憑性の無さ、矛盾点を指摘し、労働者焼殺の事実など無かったと主張した。また、日本にいるK大尉を弁護側証人として呼ぼうとしたが、裁判長はこれ却下した。一方で、判決が依拠した検察側証拠はインド人労働者の証言と供述のみであった。裁判長は、どの証拠をもとに判決をくだすかは裁判官の裁量であると強調したが、証拠を揃える時点で選り好みしていたに過ぎない。
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