秘録 BC級戦犯裁判 52

靖國神社灯籠 秘録 BC級戦犯裁判
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第52回 ポートブレア編(31)

田中氏が法廷で述べた証言によると、田中氏がハリ・ダスを警察署へ連れて行くのをモハンなど他の者たちが見ていたという。そして、警察署への途中、田中氏は夕食をとるために自分の小屋に立ち寄ったという。庭には彼の部下が15人ほどいたので、そこにハリ・ダスを座らせた。すると、ちょうど中山氏が出てきてので、盗まれた木材は彼の担当だったこともあり、事件のことを伝えた。すると、中山氏は怒って1、2回平手打ちをハリ・ダスに食らわせた。田中氏はこれを敢えて止めなかったという。そして、田中氏は夕食のために小屋に入った。夕食を終えると、ハリ・ダスが自供したと部下が伝えてきたので庭へ出たところ、ハリ・ダスはうずくまっていて動こうとしなかった。それで、名前を覚えていないが、1人の現地人労働者にハリ・ダスを家まで送るように命じたという。

また、検察証人のマウング・セインが証言した、ハリ・ダスは小屋の梁から吊るされて15分ほど暴行をうけたということに対し、田中氏は、頭をよくぶつけるような低い梁に人の手を縛って吊るすことなどできないと証言した。しかもインド人は日本人よりも背が高いのであるから尚更である。また、田中氏は棒で殴ったことなど一切ないと証言した。

検察証人のモハンは、田中氏がハリ・ダスを梁に吊るしてショベルの柄で暴行し、そして中山氏と二人で小屋の前のマンゴウの木に縛りかえたと証言した。しかし、田中氏はあの場所にモハンはいなかったと明確に証言を否定した。また、ワハブの証言に対しても、あの時その場所にいなかったワハブが何故そんなことを証言できるのか、とこれもきっぱり否定した。

田中氏はさらに、当時庭には30人ほどがいたのに、どうして松岡を含めた4人のみの名前が挙げられるのかと疑問を呈した。また、ワハブがいうような溝などなかったとも主張した。そして、田中氏に対して恨みを持っていたモハンとワハブが話をでっちあげているとしか思えない、と田中氏は証言した。

そして、なぜ恨まれているかとの問いには次のように答えている。

浮浪者や不良住民たちがハベロック島へ送られることになった際、つまり、いわゆるハベロック事件の時に、仕事の証明書を求めて現地の住民たちが田中の所へやってきた。しかし、当時正式な証明書は6人分しかなかった。新たに発行することは食糧の配給量が増えることにもなるため、安易には証明書を与えられなかった。しかし、いつまでも帰らない彼らを不憫に思い、3人の独身男性にだけ発行した。しかし、他の者たちは一向に帰ろうとしないものだから、「この持ち主は雇用者ではない」と書いたメモを渡したという。それを証明書と信じて帰った者は後に逮捕されてしまった。これが自分が恨まれている理由だと田中氏は述べた。

また、なぜハリ・ダスを警察署へ連れて行かなかったのかとの問いには、自供したのでそこまでする必要はないと思った証言した。そして、翌日ハリ・ダスが死亡したと現地人労務者から聞いたという。その原因について、ハリ・ダスが村人たちから大変嫌われていたことを挙げ、彼を家に連れて帰った4、5人の現地人が何もしなかったとは言い切れないと答えた。また、ハリ・ダス夫婦の仲もよくなかったと田中氏は述べた。ハリ・ダスには他に女性がいたために妻がそれをよく思っていなかった。そんな妻が亭主を看病したかは疑わしい。後になって、ハリ・ダスはマラリアにかかっていたとも聞いたので、彼の死因はわからないと田中氏は証言した。(つづく)

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