秘録 BC級戦犯裁判 46

靖國神社灯籠 秘録 BC級戦犯裁判
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第46回 ポートブレア編(25)

前回に引き続き、遺書をご紹介したい。

永翁秀雄氏は元警察官で、終戦当時の身分は海軍上等兵曹となっている。他の被告たちと同じく、昭和二十一年六月二十六日に刑死した。享年四十一歳。遺書は次の通りである。

遺書
父上、母上
長い間お世話になりました。本当にお世話になりつぱなしで孝行らしい事を何一つせず、申訳なく思つて居ります。然し御国の為には一生懸命働きました。不幸敗戦の結果スパイ事件により戦犯者として裁かれる事になりました。誠に止むを得ぬ事とあきらめて立派に軍人としての最後を飾ります。御国への御奉公に免じて何卒御許し下さい。終に父上母上の末長き後幸福を祈つて居ります。妻子のことあつかましくは思ひますが何卒よろしくお願ひ致します。親類知人村の方々によろしく御鳳声下さい。(後略)

妻〇子殿
長い間、夫らしいこともせず死んで行くことは申訳なく、心残りと思へど、運命とあきらめてほしい。長い事よく努めて呉れた事をしみじみうれしく思つて居ります。苦難の道多き所済まないとは思ふが三子の養育よろしくお願ひす。私は国難に殉じて喜んで征くのであるから今後の生活も正々堂々立派に、そして悲しまず嘆かず朗らかに暮して下さい。御多幸を祈つて居ります。(後略)

○子、〇〇子、〇〇子殿
父は天皇陛下の命により、南西方面の最前線で前後四ヶ年御奉公して参りました。そして立派な功績をあげたのですが敗戦の結果戦犯者となりました。決して嘆かず、朗かに大きくなつて下さい。お母さんへの孝養は勿論のこと立派に成人して人に笑はれぬ様にして下さい。身はたとへシンガポールの露と消えても魂は必ずお前達の傍でお前達を守護する事を確信す。それでは元気よくお暮し下さい。

橋田進氏は、アンダマン民政部海軍嘱託であった。昭和二十一年六月二十六日に刑死した。次の様な遺書を残した。

遺書
〇殿
此度の件につき田辺製薬会社の〇〇、〇〇氏にお聞き下さい。〇お前とうとう一人になつてしまつた。色々つらい事も多からうと思ふが、しつかりと腹帯をしめて橋田家の再興並にお国のため努力してください。お国のために働いてかくなつた上は思ひ残すことなく笑つて死んで行きます。何も頼りになれなかつた事をお詫びする。何かあつたら親類と相談してやつて下さい。

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