第54回 ポートブレア編(33)
ハリ・ダス死亡事件の奇妙な裁判はまだ続く。田中氏、中山氏、藤江氏の同僚であった松岡勇氏が次に裁かれ、三人に続いて絞首刑の判決を受けた。事件の詳細については以前に述べた通りであるが、松岡氏はハリ・ダスの取り調べの際に二、三度棒で小突いたことがあったことは認めたが、それ以外の暴行やそれによる死亡を一切否認した。先の三人と同様、松岡氏の死刑判決も信憑性の低い証言や供述書に因っている。
ロマニ・モハンの宣誓供述書によると、ハリ・ダスを暴行している日本人は2人だけで、そこで挙げられた名前はKAMAGASHIとNAGAMAISHOであった。名前を間違っていることは明らかだが、前者は田中氏、後者は中山氏とモハンは人物特定したという。ここには松岡氏の名前はない。
モンスの宣誓供述書によると、ハリ・ダスがマンゴーの木に縛り付けられてすぐに暴行を始めた四人の日本人の中に松岡氏がいたという。さらに、ハリ・ダスは藤江、中山、松岡の三人よってに連れ出されマンゴーの木に縛り付けられたとのだという。しかし、裁判でモンスが証言したのは、ハリ・ダスは田中氏によって連れ出されマンゴーの木に縛り付けられた後、田中氏の命令で他の三人からそれぞれ約5分ずつ暴行されたのだという。
モンスの宣誓供述書は自身の証言とも、モハンの供述書とも矛盾する。弁護側は、モハンの供述が被告にとって有利なため、モハンの出廷を求めた。しかし、法廷はモハンの供述書はそれだけで十分信頼に足る証拠であり、さらなる証言は必要ないとして、モハンの出廷を却下した。
弁護側はいくつかの根拠を挙げ、モンスの証言は信頼できないと主張した。それは次の通り。
モンスは3年半にわたり日本軍のために働いていたので、英国側に日本軍への協力者と見なされるのを恐れている。1945年1月の時点では日本軍によって肉体労働をさせられていたと供述したのも、自分の意思に反して働いていたということがほのめかされている。しかし、3年半にわたってポートブレアの同じ兵舎で日本軍のために働くということは、自分の意思によるものではないのか。
奇妙なことに、3年半も同じ兵舎で働いていたのに、4名の日本人以外には、他にいたはずの50から60名の日本人について、モンスは名前すらあげられない。
モンスの反対尋問での証言に次のようなものがある。「4時から5時にかけてその暴行を継続して(Continuously)見ていた。が、同時に仕事にも出ていた」。しかし、その直後には「そのとき、仕事はなかった」と答えており、明らかに矛盾している。
ハリ・ダス暴行事件に関して事細かに語るモンスであるが、奇妙にも3人がそれぞれどんな役回りで暴行を行なったか、彼は一切答えられない。モンスは伝聞とした聞いたハリ・ダス暴行事件を自分の想像で証言しているだけである。
モンスは他の目撃者の一切を排除し、自分に都合の良いようにしようとしていたが、後にモハンについては認めざるを得なくなった。
弁護には最後に検察の立証責任がなされていないことを指摘して、被告の有罪を疑いなく立証していないこの裁判では、疑わしきは罰せずの原則で松岡被告を無罪であると主張した。もし有罪とするならば、なぜモハンの供述ではなく、モンスの証言が証拠として採用されたのか説明すべきであると弁護人は訴えた。
この裁判もまた、他のポートブレア関連裁判と同様、いい加減な裁判であった。証拠となる証言に矛盾があっても問題ないのある。
死因すら確定できていないハリ・ダス事件で、四人もの日本人が絞首刑の判決を受けた。これは異様としか言いようがない。
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