秘録 BC級戦犯裁判 1

靖國神社灯籠 秘録 BC級戦犯裁判
靖國神社灯籠

倉前九平次 著 

第1回 戦犯裁判とは何か

大東亜戦争終戦の後に連合国によって行われた戦犯裁判の結果、908人の日本軍将兵が刑死した。彼らは現在、戦犯ではなく昭和殉難者と呼ばれる。彼らを裁いた戦犯裁判は大きく二つに分けられる。 一つは、広く知られている極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判である。この裁判ではいわゆるA級戦犯が裁かれた。もう一つの戦犯裁判とは、「通常の戦争法規及び慣習」に違反したB級戦犯、ならびに「人道上の罪」を犯したC級戦犯を裁いた通例の軍事裁判、いわゆるBC級戦犯裁判である。ただ、厳密にB級とC級の区別をつけることはなく、これをBC級として扱うのが通例である。連合軍の中ではA級を「Major」、BC級を「Minor」と区別する場合が多く、「A」「BC」のような区別の仕方はあまり一般的ではない。

では、「A(Major)」と「BC(Minor)」の違いは何か。A級戦犯とは戦争を立案遂行した政治指導者や軍指導者という分類であり、連合国が事後に作り出した「平和に対する罪」に問われた人々である。それに対し、BC級戦犯とは、戦場における行為が国際法の定める基準を逸脱したことの罪や責任を問われた人々である。要するに、当時の戦時国際法であるハーグ条約とジュネーブ条約に違反した咎で裁かれた人々である。例えば、民間人の殺傷や捕虜の虐待などがこれに該当する。つまり、A級とBC級の違いとは、裁かれる罪の分類上の相違であり、罪や責任の重さで「A」とか「BC」と呼称しているのではない。したがって、A級戦犯でも有期刑で済んだ者はあったし、BC級戦犯で死刑判決を受けた者は、当然いたのである。

しかし、A級戦犯とBC級戦犯とでは、世間の注目の度合いが全く異なるのもまた事実である。これまでに東京裁判については多くの研究がなされてきた。東京裁判を肯定的に捉えるにしろ、否定的に捉えるにしろ、研究がなされること自体はたいへん結構なことではあるが、その一方で、BC級戦犯裁判への関心が低いのはどうしたことであろうか。人々の間でBC級戦犯裁判は忘れ去られている。

東京裁判は平和に対する罪を問うたものであるが、そのような罪は当時の国際法には存在せず、戦勝国が勝手に作り出したものであって、その事後法で敗戦国の指導者を裁くのは、法の名を借りた政治ショーに過ぎない。法の支配を謳うことで文明国を自認しておきながら、自ら法の精神を踏みにじり、敗者に復讐を遂げた戦勝国に対する憤りから、東京裁判に注目が集まったのは当然のことかもしれない。

しかし、その陰でBC級戦犯裁判の問題は少しずつ忘れられていった。そこには、BC級戦犯は実際に戦時国際法を破り、罪を犯したのだから仕方ない、それに公平な裁判で裁かれたようだから文句は言えまい、というような空気が国民の間に出来上がってしまっていたのではないだろうか。だが、東京裁判のような茶番劇を実行した戦勝国が、BC級戦犯裁判では公平に裁判を行ったと考えるのは些かお人好しが過ぎるというものであろう。

BC級戦犯裁判は、アメリカ、英国、フランス、オランダ、オーストラリア、中国がそれぞれ独自にこれを行い、その開催地は東南アジア全域に及んだ。これはかつての植民地に再び宗主国が戻ってきたことを意味する。東京裁判では、世界の注目を集めつつ戦勝国が合同で行うが故に、各国の思惑が複雑に絡み合ったが、東南アジア各地でのBC級裁判には、各国の思惑がそのまま直に反映された。戦勝国とは言っても、彼らは総じて、日本軍の攻勢に耐え切れず植民地から退却した経験を持つのである。何としてでも宗主国としての威信を回復せねばならなかった。必然、裁判は不公平で過酷なものとなった。では、いったいどのような裁判が行われたのか。これからその内幕を明らかにしていきたい。まずは、英国が行った裁判から始めたいと思う。

戦争犯罪の問題は過去の問題では決してない。現在の安全保障問題にも大きく影響しているのである。現在の国際社会においても、日本は、戦争犯罪というかつて戦勝国からつけられた足枷から未だ脱することができず、自分の意思で自由に動くことすらできないでいる。本当に自ら国を守りたいのであれば、まずその足枷を解くことから始めなくてはならない。小論がその一助となれば幸いである。

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