大西洋憲章と「プリンス・オブ・ウェールズ」

コーンウォールから望む大西洋 国際ニュース
コーンウォールから望む大西洋

先日、英国と米国の首相会談がG7首脳会議に先立って行われ、そこで「新大西洋憲章」なるものが謳われた。近年出現してきている、国際社会の秩序を脅かす脅威に対して協力して対処しようという趣旨だが、もちろんこのモデルとなったのは1941年の「大西洋憲章」である。

1941年8月、英国のチャーチル首相と米国のルーズベルト大統領はカナダのニューファンドランドで会談した。その際、チャーチルを英国から運んだのが当時英国が誇った戦艦プリンス・オブ・ウェールズであった。英国はヒトラー・ドイツと交戦中であったため、大西洋の横断には相当な困難が伴ったわけだ。そうして実現した会談の中では、戦後の国際秩序をどうするかが話し合われたのであるが、これはまだ日本が真珠湾を攻撃する前のことである。この時、英米首脳は日本をどのように扱おうとしていたのか。

1941年12月8日、日本が真珠湾を攻撃、米英に宣戦布告したことにより米国は正式に第二次大戦に参戦したわけであるが、それ以前から米国と英国は何やら裏でこそこそ動いていたのである。ただ、英米の誤算は、日本が想像以上に手強かったことであろう。あの英戦艦プリンス・オブ・ウェールズがいとも簡単に日本海軍により沈められてしまった。しかも、巡洋戦艦レパルスもである。この時の英米には確かに奢りが見られた。

実は今回の「新大西洋憲章」の裏にも「プリンス・オブ・ウェールズ」がいた。現在、クイーン・エリザベス級空母の一隻に「プリンス・オブ・ウェールズ」という名前がつけられており、その新しい「プリンス・オブ・ウェールズ」が今回の英米首脳会談が行われたコーンウォールのカービス湾沖の水域を通過したのだという。なかなか手の込んだ演出ではある。

「新大西洋憲章」も結構だが、同時にチャーチルとルーズベルトの傲慢さと失敗も自覚して欲しいものだ。当時のチャーチルとルーズベルトは中国と組み、日本を叩くという愚行を犯した。しかも日本と戦う前に、戦後の世界秩序の構想などを二人で練っていた。その傲慢と失敗の結果、ソ連、中共が戦後に勢力を大きく伸ばすことになったのだ。今回は中国を共同で抑え込むことを念頭に「新大西洋憲章」なるものを出したようだが、それならば、バイデン大統領は自らが抱える中国絡みの問題に真摯に向き合うべきであろう。それを抜きにして、そして、インド太平洋を抜きに、新「大西洋」憲章など、何の意味があろうか。

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