英経済界、満州への参入を欲す

日英不可侵協定を実現したいチェンバレン財務相は、1934年9月1日、サイモン外相にある書簡を送り、協定に反対する外務省極東部を押さえ込むよう奮起を促した。その書簡の中に同封されていた「チェンバレン覚書」の中に、満州国に関する項目があったのだが、それが興味深い。その中でチェンバレンは、英国の外交方針である中国の門戸開放が守られる限りではあるが、満州国は英国産業界に恩恵をもたらすと述べていた。

海洋国家である英国は通商により成り立つ国である。したがって、経済界の利益は国家戦略と重なる部分が大きい。つまり、経済界の声は無視できないのである。実は、その英国経済界が満州市場に大きな関心を示していたということは、現在あまり知られていないように思われる。

1934年9月27日、英国産業連盟(Federation of British Industries)の使節団が来日している。そして、その背後にはA. エドワーズ(A.H.F. Edwardes)という人物がいた。この人物は、満州国の財務顧問を務めており、後にロンドンの日本大使館の顧問にもなる人物で、フィッシャー財務次官とも親密であった。

日英関係の専門家である細谷千博氏によれば、エドワーズは英国産業連盟の使節団の訪日をきっかけに、英国政府に満州国を承認させ、日英の政治的接近に繋げようという意図を持っていたという。

つまり、当時の英国経済界とそれに近い保守系政治家たちには、満州における経済的利益を日英が共有することで、日英協調を目指していたのである。しかも、英国王ジョージ5世もこれには前向きであったという。日本にとっても、英国が満州国を承認し、日本に協調的になることは望むところであったはずだ。しかし、この構想は結局、実現しなかった。歴史というのは皮肉なものであるが、だから面白いのかもしれない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました