英産業界の満州参入問題、突如風向きが変わる

The Times 20 Dec 1934 Naval Talks Adjourned 日英関係 1930年代
The Times 20 Dec 1934 Naval Talks Adjourned

1934年9月下旬に来日し、満州国や日本国内を視察した英国産業協会(FBI)使節団だが、その活動は本国でも度々好意的に報道されていた。それだけ、英産業界の期待は大きかったのである。世界恐慌後の不況に苦しむ英国経済界が本気で新しい市場としての満州に期待し、日英関係改善を望んでいたことが窺える。

しかし、ある時を境に風向きが変わっていく。1934年9月から12月のタイムズ紙を眺めて見ると、9月、10月は希望に満ちた論調なのだが、11月に入るとそれがトーンダウンし、記事の中に米国の影が見られるようになっていく。これは満州をめぐる日英協調を阻止したい米国と、英国内の親米派の巻き返しがあったとみるのが妥当であろう。

その裏には、やはり、翌1935年に予定されていた第二次ロンドン軍縮会議が影響したのではなかろうか。一言で言えば、英国は軍縮会議を米国に人質に取られていた様なものだ。

1934年12月20日付のタイムズ紙は、第二次ロンドン軍縮会議に向けての日英米準備会合がロンドンで開かれたことを伝えているのだが、その中にFBI使節団の話が出てくるのである。その記事には次のようなくだりがある。

何度、そしてどれほど強調してもし過ぎることはないが、英国政府と日本政府の間に秘密の盟約があるという噂は全て、悪意あるもので虚偽である。明日公表されるFBI使節団の報告書はおそらく、一連のこの馬鹿げた噂を打ち消し、仕切り直すことになるだろう。(中略)現在の満州の政権に対する英国の態度は、引き続き、昨年2月の国際連盟の総会で決議された原則に基づくものである。

実はこの時、ワシントン軍縮条約を廃棄するかがロンドンでの軍縮会議での重要な議題になる見通しであった。日本は条約廃棄を望んでいたのだが、米国は当然そのようなことは許すまい。英国はその間の調整役であり、難しい立場に立たされていた。したがって、英国内部でもかなりの綱引きがあったものと推測される。

上の記事で気になったことの一つは、「満州の政権」という表現を使っていることだ。他の記事では「満州国」と表現しているのだから、これには明らかに「満州国」を認めないというメッセージが隠されている。おそらく、英外務省か親米派に近い記者が書いたものであろう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました