秘録 BC級戦犯裁判

秘録 BC級戦犯裁判 5

第5回 日高巳雄 法務少将 (三) 日高少将は公判前に宣誓供述書を書き、それを法廷に証拠として提出していた。英国公文書館の裁判資料の中には今もそれが残されている。今回はそれを読んでいただこうと思う。判別が難しい文字は□に置き換えてある。 誓...
日英関係

英国陸軍の元帥でもあった天皇陛下

昭和12(1937)年1月7日、在東京英国大使館附武官ピゴット少将は、寺内陸軍大臣宛の書簡で帝国陸軍への年賀の祝意を表したが、興味深いのは、それに添えられていた昭和天皇への祝意の文面である。それは以下の通りである。 英国陸軍の元帥であらせら...
秘録 BC級戦犯裁判

秘録 BC級戦犯裁判 4

第4回 日高巳雄 法務少将 (二) 四十四人が一度に裁かれた、所謂「オートラム刑務所」裁判において、裁判長を務めたのはルガレ判事であった。四十四人の運命がこの裁判長の手に委ねられたといっても過言ではない。裁判長は検察と弁護側双方の言い分を静...
秘録 BC級戦犯裁判

秘録 BC級戦犯裁判 3

第3回 日高巳雄 法務少将 (一) 玉の緒の切るるきはまで憶ふかなすめらみ國の春は如何にと この一首は、日高巳雄(ひだかみねお)陸軍法務少将の遺詠である。伊藤義光憲兵曹長の遺書の中に書き留められてあったものである。日高法務少将は昭和二十二年...
大東亜戦後史

大東亜戦後史(1)

終戦後、南方で命を落とした日本人は4万5千人 先の大戦に関して、連合国側が日本を非難するのに「捕虜に対する酷い取扱」がよく引き合いに出される。英国、豪州などでは泰緬鉄道建設で死亡した連合国捕虜のことは、日本軍の残虐性を示す証として必ずと言っ...
秘録 BC級戦犯裁判

秘録 BC級戦犯裁判 2

第2回 英国裁判の背景 英国軍が行ったBC級戦犯裁判は、昭和21年1月から昭和23年12月にかけてシンガポール、クアラルンプール、タイピン、ラブアン、ラングーン、アロールスター、香港、ジョホールバル、ペナン、ジェッセルトン、メイミョウの地で...
秘録 BC級戦犯裁判

秘録 BC級戦犯裁判 1

倉前九平次 著  第1回 戦犯裁判とは何か 大東亜戦争終戦の後に連合国によって行われた戦犯裁判の結果、908人の日本軍将兵が刑死した。彼らは現在、戦犯ではなく昭和殉難者と呼ばれる。彼らを裁いた戦犯裁判は大きく二つに分けられる。 一つは、広く...
文明論

大和は國のまほろば

このブログの最初の投稿は、やはり日本の文明の話から始めたい。 このページの写真は、日本文明濫觴の地、大和の国を見守る歌碑である。  大和は國のまほろばたたなづく青かき山ごもれる大和し美し 日本最初の英雄、日本武尊の歌を記したこの歌碑は、近代...