終戦後、南方で命を落とした日本人は4万5千人
先の大戦に関して、連合国側が日本を非難するのに「捕虜に対する酷い取扱」がよく引き合いに出される。英国、豪州などでは泰緬鉄道建設で死亡した連合国捕虜のことは、日本軍の残虐性を示す証として必ずと言っていいほど取り上げられる。その犠牲者数は、英豪蘭米の捕虜を合わせ12,000人にのぼる。同鉄道建設に動員された捕虜は60,000人であるから、死亡率20%である。様々な原因が絡み合った結果とは言え、確かに高い死亡率である。
では連合国軍に捕らえられた日本人はどうであったのだろうか。
連合国側の資料によれば、戦時中に米国が日本に通知した日本人捕虜の死亡は約2000件。英国が日本に通知したのは383件。豪州、1,202件である。(左記の資料参照)
しかし、この数字だけを見て、連合国側が捕虜を丁重に扱ったとは言い切れないのである。そもそも、捕虜になる日本将兵は連合国軍将兵に比べ圧倒的に少なかったし、連合国軍、特に米軍などは捕虜として捕らえずにその場で殺してしまうことも少なくなかった。
一度捕虜にとってしまうと、捕らえた側にはその世話をする義務が発生する。食事、保健、住居の全てが捕らえた側から捕虜に与えられなくてはならない。戦闘の現場で果たしてこんなことが可能なのか、疑問がないでもないが、これが当時も今も国際法の叡智なのである。
では、戦争が終わった後であれば、どうであろうか。きっと国際法に則って手厚い待遇を与えてくれるはずであろう。少なくとも連合国軍は捕虜の待遇に関してあれだけ日本軍を非難してきたのであるから、大いに期待してもよいであろう。
終戦から1951年までの間に、米軍に捕われたまま死亡した日本人の数、20,966人。英国軍に捕われたまま死亡したのは、12,029人。豪軍では、11,444人。合計、約45,000人。(左記2資料参照)
これは一体どういうことであろうか。
戦争も終わり、戦闘が行われている訳でもないのに、45,000人の日本人が亡くなっている。それも人道主義を掲げる米英豪軍の元にあってである。
食糧、保健、住居にまさか不備があったはずもあるまい。実に不思議だ。一体何によって45,000人が命を落としたのか。
日本軍の捕虜への待遇を散々非難しておきながら、まさか、自分たちの手元で戦後に45,000人の日本人が死んでいることなど、ほとんどの英米人は知らない。これが英米が掲げた人道主義の現実である。
終戦後、連合国から日本軍将兵に与えられた身分は戦争捕虜(Prisoners of War)ではなく、日本降伏軍人(Japanese Surrendered Personnel)である。もちろん、後者には国際法上の保護規定は適用されない。
彼らにとって人道主義とは人類の普遍的理念というわけではないらしい。
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