ビルマ戦 英印無名戦士の墓

今でも英国人の心の奥底には日本への恨みというものが存在する。いまだにVJ Day (Victory over Japan Day)なる対日戦勝記念日を盛大に祝うのもその現れで、それだけ緒戦で日本に喫した敗北が屈辱だったのだろう。結局、英軍は米軍の支援がなくては大したことができなかったのだから、VJ Dayをいまだに盛大に祝うのはコンプレックスの裏返しにしか見えない。米国と比べれば明らかである。

しかし、マスメディアや一般大衆の対日感情に比べれば、実際に戦った両国の軍人たちはもう少し冷静な見方をしている。次のようなエピソードがあったことがそれを物語っている。これは伊藤正徳氏の『帝国陸軍の最後』に依っていることをお断りしておく。

1942年、破竹の勢いでビルマに進軍した日本軍は、5月にはビルマ全土をほぼ制圧する。その中で大活躍したのが櫻井省三中将率いる第三十三師団である。西ビルマを見事に征定してみせた。ビルマ国民もこれを大歓迎し、その地に「戦捷記念塔」が建てられることになったのだが、第三十三師団の上層部は、敗れた英印軍将兵を弔うのが武士道であるとして、碑の側に「英印無名兵士の墓」を建て、その霊を慰めたのであった。

この地は1945年に英軍に奪還されたのであるが、その時、その墓が英軍首脳部の目に留まった。当時、日本人を野蛮人と思っていた英国人には、この礼節が驚きであったらしく、痛く感激したということだ。そして東南アジア英軍総司令官のマウントバッテン元帥は、墓建立の関係者を調べさせ、日本軍の武装解除後は礼を以て遇するよう命令を出した。その結果、終戦時に櫻井中将が率いていた第二十八軍は他とは比較にならない厚遇を得たというのだ。

これには後日譚があり、1953年、この戦捷記念塔と墓が取り除かれることに決まった際には、英陸軍省が日本の防衛庁に対してその旨を丁寧に知らせて来て、礼のある配慮したのだという。

このような友好のエピソードを知れば、英国民の奥底にある対日感情も多少変化していくのではないだろうか。日英両国に言えるのだが、マスメディアや大衆は日本軍将兵の残虐性や英国軍将兵の勇姿ばかりを強調しすぎて、日英軍人たちの素顔を見ること、そして敵も味方も同じ人間であったことを忘れているようだ。

このエピソードは伊藤氏の著書を参考にしたが、これに関する公文書が見つかればまたお知らせしたい。

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