満州事変 英国の見方

日英関係
“Manchuria.” Times, 18 Nov. 1931, p. 13+. The Times Digital Archive

戦前の日英関係は同盟を解消した後、1920年代に悪化の兆候が見られ、30年代になると亀裂は決定的となる。その亀裂の端緒になったのは、やはり1931年の満州事変である。東京裁判では日本の「世界征服」のための第一歩などと断罪された満州事変だが、実は、当初英国はそれほど日本に厳しい態度を取っていたわけではない。英国がどのように満州事変を見ていたかをご紹介したい。以下は1931年11月18日付のタイムズ紙の記事の抜粋である。

An experienced observer wrote the other day of Chinese troubles with foreign Powers that their root cause is to be found, as ever, in misrule, in violation of treaty and individual rights, in failure to suppress banditry and violence, and in neglect to redress wrongs, coupled with tortuous prevarication and procrastination, all carried to the extreme limit of the endurance of those involved.
These words exactly fit the situation in Manchuria and explain why Japan, after years of patient and tolerant treatment of Chinese pretensions, has at last turned and is now helping herself to what is due to her by treaty and contract.

(ある経験豊富な識者が過日、中国が外国列強に引き起こす諸問題について書いたものに、問題の根本的な原因は今でも、無政府状態、条約と個人の権利の侵害、山賊行為と暴力行為に対する鎮圧の失敗、不正を正すことへの怠慢、そしてそれに伴う不正なる言い逃れと引き伸ばしに見ることができ、これら全ては関係者の忍耐の限界の極みにまで達している、というものがある。
 この言葉はまさに満州の現状にぴたりと当てはまり、日本がなぜ、何年も忍耐と寛容を以て中国の主張に対処してきた後についに背を向け、条約と契約によって与えられた当然のものを手にしようとしているかを説明している。)

満州事変の根本的な原因は中国の無為と非道にあった。英国はそれをよく分かっていたのだ。しかし、その後、中国国民党の宣伝力、アメリカを含む列強の思惑、そして日本の説明下手とが合わさって、徐々に日本は孤立していく。この頃すでに英国は、米国の対日強行路線には抗えないと腹を決めていたようにも思われる。1930年代の日英関係は、関係修復の機会があっても、結局は新しい超大国米国に翻弄されつづけており、残念である。

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