日英中の三角関係

Letter to Willian H. Donald 日英関係
Letter to Willian H. Donald

1930年代に徐々に悪化していった日英関係だが、初期の段階ではまだ、日本と中国の間で英国が対応に苦慮する時期もあったようだ。しかし、これが段々と中国側に傾いていく。その中で重要な役回りを演じたのが、豪州人ジャーナリスト、ウィリアム・H・ドナルドである。この人は孫文、蒋介石、張学良のアドバイザーを務めたことでも知られ、1936年の西安事件では、蒋介石を助けるための交渉役として張学良の元に派遣されている。そして、在南京英国大使ヒュー・ナッチブル・ヒューゲッセンと蒋介石の間を取り持っていたのがこの豪州人なのである。

ウィリアム・ドナルドの取り持ちで1937年5月、ナッチブル・ヒューゲッセンと蒋介石は会談を行っている。その内容と英国本国の反応をまとめたものを、ナッチブル・ヒューゲッセンはドナルドに書き送っている。

その書簡によると、この会談の中で蒋介石は英国に経済協力と軍事協力を求めたようである。特に軍事協力の内容が気になるが、蒋介石は英国に現役将校の軍事顧問団の派遣を要請したのである。英国は現役将校を貸し出す形での派遣を認めていないのだが、もし、蒋介石が将校を雇用する形ならば考慮はするという返答であった。その後の英国の対中軍事支援を見ると、蒋介石のこの提案もあながち無駄ではなかったのではないか。

蒋介石にしてみたら、日本との関係が微妙になっている英国をここで完全に味方に引き入れたいという思惑があったのは疑うまでもない。会談の中でもしきりに日英関係のことを気にしていたようだ。ナッチブル・ヒューゲッセンはドナルドに次のようなことを書き送って、アレクサンダー・カドガン英外務次官が中国大使顧問に話した内容を説明している。

He had then explained that on Mr. Yoshida’s appointment last year as Japanese Ambassador in London he had brought with him instructions to do all in his power to put Anglo-Japanese relations on a better footing. With this end in view he had at the end of last year embodied in an aide-memoire a statement in very general terms which hardly went beyond recording the Japanese desire to reach a general settlement and alignment of policy with H.M. Government. H.M. Government replied in equally general terms, reciprocating this anxiety to improve Anglo-Japanese relations. This encouraged the Ambassador to hope to induce his Government to formulate definite proposals. Nothing further had however as yet been received from the Japanese Government. Sir Alexander added that in any case the Chinese Government could rest assured that H.M. Government would do nothing to the detriment of Chinese interests.

彼(カドガン次官)がその時に説明したことは、吉田氏は去年在ロンドン日本大使に任命され、日英関係の改善に最善を尽くすことを最大の責務として来ている、というものであった。その目的のために吉田氏は昨年末に覚書の形で声明をまとめたのだが、これは極めて一般的な表現で、日本政府が英国政府と政策の面で解決と連携に達することを望んでいるということを記録する以上のものではない。英国政府も同様に一般的な表現で、日英関係の改善を切望すると歩調を合わせたのである。これは吉田大使に、日本政府に特定の提案を作成するよう促すのに十分な希望を与えた。しかし、日本政府からは今のところ何も受け取っていない。カドガン次官はさらに、どんな場合に置いても英国政府が中国の利益を害することはないと中国政府は保証されている、と付け加えた。

英国は日本が関係改善を望んでいることを、はっきり認識していた。そしてそれを知った上で、その内容を日本とは敵対している中国側に漏らして、安心してよいなどと言っている。これは些か信義に悖る行為ではないか。この辺りの英国外務省の態度をみると、この頃にはもう日本ではなく中国を選ぶという決定があったのではないかと思われるが、どうであろう。今後も研究を続けて行きたい。

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