1937年5月に蒋介石が英国に軍事協力を要請したことは以前に述べた。それは同年7月7日に発生した盧溝橋事件、つまり支那事変勃発の以前であったことは留意しておくべきだろう。それから約2年が経過した1939年、日英関係、英中関係はどうなっていただろうか。
1939年2月付の、興味深い英公文書がある。何かというと、英国が蒋介石政権に武器を輸出していたという書類なのである。当時、英国には武器輸出を禁ずる法令があったので、中国に武器を輸出するには特別な許可が必要となる。以下の書類はその許可申請と承認の書類になる。今回ご紹介する物はほんの一部で、実はこのような書類がまだまだある。つまり、英国は蒋介石に武器輸出を続けていたわけだ。これは第2次世界大戦、つまり英独戦も日英戦も、まだ始まっていない段階でのことである。武器輸出は軍事協力になるのかという問いもあろうが、少なくとも中立国のすることではあるまい。
1939年といえば、夏に日本軍による天津租界封鎖があり日英の対立が激化するのだが、それより以前に英国は蒋介石に肩入れしていたのである。天津事件にしても、英国の親中路線のためにエスカレートした部分が大きい。もうすでに中立ではなかったのである。戦後はそれを全て日本の所為にされたのだから、英国人も相当なしたたかものだ。流石、スターリンとも手を結ぶ人たちは一味違う。
これらの文書をみると、やはり英外務省の意向が強く反映されていることがわかる。蒋介石、宋美齢の工作がこの辺りに上手く効いていたのであろう。
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