有田外相と日英関係

タイムズ紙「有田外相、復帰」 日英関係
タイムズ紙「有田外相、復帰」

1938年5月に外相に就任してから日英交渉を重ねてきた宇垣一成外相は、同年9月28日、大臣の職を辞した。これには英国も驚いたようで、タイムズ紙は宇垣外相辞任のニュースを報じている。辞任の理由も、興亜院設立をめぐる外務省と陸軍の対立によるものと解説している。陸軍出身の大将という立場ではあるが、宇垣は陸軍との関係が悪く、流産内閣の件も含め陸軍に足を引っ張られてばかりである。これは宇垣が陸軍大臣時代に行った宇垣軍縮の怨念のためであろう。

宇垣の後任には外交官、有田八郎が復帰するのであるが、有田は日独防共協定を結んだ外相でもあり、ドイツと親密で英国には厳しいと英国は見ていた。1938年10月30日付のタイムズ紙は次のように述べている。

Mr. Arita, a former Ambassador to China, was Foreign Minister in Mr. Hirota’s Cabinet, formed in April, 1936, which was responsible for the negotiation of the Anti-Comintern Agreement with Germany. […] A diplomatist by career, he owes allegiance to no political party, but his past achievements might suggest that he is none to sympathetic towards an Anglo-Japanese rapprochement.

元駐中国大使である有田氏は、1936年4月に発足した廣田内閣の外相を務めた。廣田内閣はドイツとの防共協定交渉で責任ある役割を果たした。(中略)職業外交官である有田氏はどの政党にも属さないが、過去の業績を見る限り、日英関係改善には少しも共感を抱いていないようだ。

日英関係改善に積極的であった宇垣とは全く反対の立場の有田外相の就任に、英国も少なからずショックを受けたようだ。まさか宇垣が4ヶ月で辞任するとは思ってもいなかったのだろうが、後の祭りである。宇垣在任中に交渉をまとめられなかったら、望みは薄くなる。その上、対英強硬派の有田の再任だ。英国内の親中派にはよいニュースかもしれないが、親日派には大きな打撃だ。

タイムズ紙の記事は次のように続く。

Incidentally, on the morning before the announcement of the appointments, the Press contained hints that the Foreign Office is anxious that the Anglo-Japanese conversations should be transferred to London and that they should take place between Mr. Shigemitsu, the new Ambassador, and Mr. Chamberlain.

ちなみに、人事発表の前の朝に新聞各紙が報じたところによると、外務省は日英交渉をロンドンに移し、新任の重光大使とチェンバレン英首相が交渉することを願っているようだ。

これは間違いなく、有田の意思であろう。有田に英国と積極的に交渉する意思はなかったのだ。ただ、全ての望みが潰えたわけではない。重光がロンドンに派遣されたことの意味は大きい。実は、この人事は宇垣外相によって提案されたものらしい。9月の重光の人事については英国でも報道されていた。そして、重光は熱心に英国の親日派と会合を重ねることとなる。日本の敗戦後、戦犯にされた重光を救おうと親日派英国人たちが活動するのだから、歴史というのは面白い。

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