英外務省の公文書で次のようなものがある。日付は1939年10月4日で、第二次世界大戦が勃発した一月後である。ちなみに、真珠湾攻撃の2年前である。
The Counsellor of the Chinese Embassy stated to-day, on instruction from Chungking, that the Chinese Government wished to send a military mission to the Western Front and enquired whether such a mission would be welcomed by H.M. Government. He had no information as to the nature or composition of the mission.
本日、中国大使館の参事官が、重慶政府の指示を受けて述べたところによると、中国政府は西部戦線に軍事使節を派遣することを望んでおり、英国政府がそのような使節団を受け入れるか否か尋ねたい、ということである。参事官は、使節の性質や構成について何の情報も持っていなかった。
蒋介石は何のために、西部戦線に軍事使節を派遣したいなどと言い出したのであろうか。英国、フランスの戦い方を学んで、日本との戦に活かしたかったのであろうか。そんなことは、まずあるまい。これは明らかに、自分たちは英国と同じ陣営、連合国の一員であるというポーズである。その先には、日中の戦いの中に英国を、中国の同盟国として引き入れたいという思惑があったのではないか。
この時点では、日英はまだ戦争状態にはなく、重光葵やクレイギー駐日大使、ハンキー卿などが日英関係改善のために努力を重ねていた時期でもある。確かに英国は蒋介石を援助して武器輸出までしていたが、日英関係改善の余地は残していた。そこで蒋介石は、中国を連合国の一員にすることにより、英中同盟の既成事実化を図ろうとしたのであろう。そして、それはそのまま、日英離反を意味する。
蒋介石の西部戦線への関与は続いていく。それが英仏にとって有益であったかはまた別問題であるが。次回、その続きを見ていこう。
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