1930年代に悪化した日英関係を改善しようという試みの中で最も期待が持てたのは、1938年の宇垣一成外相のそれではなかったろうか。陸軍大臣経験者の大将(予備役)、宇垣外相は親英派と目されていたし、交渉相手のクレーギー駐日英大使は熱心な関係改善論者であった。また、大使の側には親日家の駐在武官ピゴット少将がいた。これほど役者の揃った場面はなかなかないであろう。
しかし、交渉は不調に終わった。その頃のタイムズ紙の東京発記事に次のようなものがある。記事の日付は1938年7月29日、新聞の発行は30日である。
The Foreign Office spokesman declared to-day that statements by Government representatives in the House of Commons debate on Tuesday and in the House of Lords on Wednesday suggesting that British financial support might be given to China, and remarks by private members urging the abrogation of the 1911 Anglo-Japanese commercial treaty, might be interpreted by the Japanese public as threats to Japan and would certainly have harmful effects on the efforts now being made for an Anglo-Japanese rapprochement. The Spokesman was denying newspaper reports that the Foreign Minister, General Ugaki, had decided to abandon his conversations with Sir Robert Craigie, the British Ambassador, for a settlement of outstanding questions between Britain and Japan in China, if Britain continued to assist the Chiang Kai-shek regime.
日本の外務省報道官が今日、次のような声明を発表した。火曜に英下院で、水曜に英上院で行われた議論の中で、英国が中国に財政的な支援を行うかもしれないと英政府代表が示唆し、平場の議員たちが1911年に締結された日英通商条約を破棄することを求めたが、これらは日本に対する脅しであると日本の大衆に受け取られ、現在行われている日英関係改善のための努力に確実に悪影響を与えるだろう、と。日本の新聞各紙は、もし英国が蔣介石政権への支援を続けるならば、現在クレーギー大使との間で行われている、中国をめぐる日英の問題解決のための交渉を打ち切ると宇垣外相が決断した、と報道しているが報道官はこれを否定している。
交渉中に、英本国からこのような話が出てきたら、まとまる話もまとまるまい。これは明らかに、英本国、英政府内に、日英関係改善を望まない人たちがいて交渉を外から妨害していると考えられる。そして彼らは蔣介石を支援し続けたのである。
宇垣外相は、蔣介石政権との和平工作を就任当初から行い、いい線まで行っていた。国民政府行政院長の孔祥熙(蔣介石の義理の兄)との接触に成功し、蔣介石から和平の条件を引き出すことができた。実は、この時、日中の仲介にクレーギー駐日英大使が一役買っていた。しかし、結局、この日中交渉も実を結ばなかった。宇垣とクレーギーの間には十分な信頼関係が築かれていたであろうが、それだけではもうどうすることもできない状況に、日英中の三角関係は至ってしまっていたのだ。
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