インド国民軍と日本

大東亜戦後史

英空母打撃群がインド太平洋へ向け出港したばかりだが、さらに、英印の貿易合意が発表された。これは自由貿易協定ではないが、両国の経済関係強化には相違ない。英国は明らかに、アジア太平洋の日米豪印の連携に加わる意思を示している。英国で開催の今回のG7にも、豪州、インドをゲストとして招いてもいる。

しかし、英印関係は植民地支配の歴史のため、友好一辺倒というわけではなかった。当然ながら、インド国内には親英派と反英派がいたわけである。植民地時代、反英派の指導者だったのがインド独立の闘士、チャンドラ・ボースであった。そしてボースが頼ったのが日本であった。ボースはインド国民軍を結成し、これは日本軍とともに英軍と戦った。かのコヒマ・インパールの激戦にも参加している。

実は、日本陸軍はインパール作戦にも当初消極的であった。作戦の困難は明らかな上、戦略上得られる利益もそれほどでもない。しかし、ボースは東條にインパール作戦を強く要請した。インドの独立がかかっていると。結果として、日本軍とインド国民軍はこの戦に敗れた。無理を重ねた作戦だったので日本軍は大損害を被った。壊滅と言ってよいだろう。しかし、インド国民軍がインドの地で英軍と一戦交えたことは、蜂のひと刺しとなった。戦後、インド国民軍の軍人を英国が処刑しようとした際、インド全土で反対運動が起こり、これが独立運動となっていった。英国にはもうインドを支配する力は残っていなかった。

日本側からすればインパールでの大きな犠牲も、インド独立の礎と思えば慰めとなるし、インドもまたこれに感謝して親日の情を持っているわけだ。しかし、英国側からすれば、インド国民軍は裏切り者である。実際、ボースとインド国民軍を評価する英国人にはお目にかかったことがない。この辺が日英印の関係の複雑なところではある。日本国内でもインド独立といえばガンジーばかりが取り上げられ、ボースのことを知る人は少ない。

そのことを多くの人に知っていただきたく、ここに靖國神社の遊就館に置かれている資料から引用させていただこうと思う。インド国民軍の軍人の言葉である。

われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するために共に戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を表わします。インド国民は大義のために生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまでけっして忘れません。我々はこの勇士たちの霊を慰め、御冥福をお祈り申し上げます。

1998年1月20日 於 ニューデリー
インド国民軍大尉 S.S. ヤダバ (インド国民軍全国在郷軍人会代表)

原文
We the members of the Indian National Army pay our highest and most revered tributes to our comrades-in-arms members of the Japanese Imperial Army who laid down their lives on the battle fields of Imphal and Kohima for the liberation of India. The Indian nation will ever remain grateful to valiant martyrs of Japan and we pray for eternal peace of their soul.

S.S. Yadava
Capt. INA
Gen. Secretary

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