父と私 倉前盛通伝

生誕百年記念連載『父と私 倉前盛通伝』13

倉前麻須美 著  第13回 弟とのお別れ 父の設計で建てた家は、今でもありありと記憶に残っています。日当たりのいい南側に白くペンキを塗ったテラスがあり、柵も同じく白く塗装されていました。東側に玄関がある、平屋の可愛い家でした。 父と母が庭造...
日本「匠」の伝統

没後三十年企画『日本「匠」の伝統』15

倉前盛通 著  第15回 定年と日本人 このように、働くことが祭りの一環、つまり祭りにお仕えすることであるという発想は、後に仏教や儒教とも結びついていきます。例えば、禅僧の鈴木正三や石門心学で有名な石田梅岩のような人が出てきて、働くことは仏...
父と私 倉前盛通伝

生誕百年記念連載『父と私 倉前盛通伝』12

倉前麻須美 著  第12回 あやめ池の新居 歩けるようになった弟はじっとしておられず、お留守番していても外へ行きたがって、階段に出る戸を開けようとします。それを止める私も大変でした。今度の引っ越しには、そういう事情もあったのでしょう。出来上...
日本「匠」の伝統

没後三十年企画『日本「匠」の伝統』14

倉前盛通 著  第14回 技と祭祀 それから、職人も神を祀ります。大工や、木工職人、金属にいろいろ細工する金工、鋳物職人、あるいは刀鍛冶などです。刀鍛冶などは精進潔斎して、周りに注連縄を張って、烏帽子を被って刀を打つわけです。これは人を殺す...
日本「匠」の伝統

没後三十年企画『日本「匠」の伝統』13

倉前盛通 著  第13回 労働と祭祀 日本では働くことは単なる労働ではなく、日本人は祭りの一環として働いているのです。外国人が、日本人は働き過ぎだとかワーカホリックだとか何とか言って、もっと休めとか定年後は悠々と暮らせばよいではないか言いま...
父と私 倉前盛通伝

生誕百年記念連載『父と私 倉前盛通伝』11

倉前麻須美 著  第11回 父、家を建てる 坊やと呼んでいた弟は、母が病弱だったこともあり、難産でなかなか生まれてこず、大変だったそうです。今の医学ならば何の問題もないことも、当時は命がけでした。坊やにはその時の後遺症が残り、脳性麻痺を背負...
父と私 倉前盛通伝

生誕百年記念連載『父と私 倉前盛通伝』10

倉前麻須美 著  第10回 叔父さんと弟 大手術をした父が退院する日、私はとても嬉しい気持ちでお迎えに行きました。病院に着くと、入り口にたくさんの人がいてとてもにぎやかなので、何かあるのかなと不思議に思っていました。父と母は忙しそうに、けれ...
日本「匠」の伝統

没後三十年企画『日本「匠」の伝統』12

第12回 韓国にはいない篤農家 本学(亜細亜大学)の卒業生でアジア経済研究所から派遣研究員として、韓国に10年くらい留学した人がおられますが、その彼に、韓国の農村を一言でいえばどういうことですかと聞いたことがあります。その答えは、韓国の農村...
お知らせ

倉前文明地政学研究所のサイト設置

この度、倉前書房のサブサイトとして「倉前文明地政学研究所」のサイトを設置いたしました。地政学や文明論、国際関係、日英関係などについて扱うサイトになっております。ご覧いただければ幸いです。 倉前九平次 拝
日本「匠」の伝統

没後三十年企画『日本「匠」の伝統』11

倉前盛通 著  第11回 日本の伝統と美学 蒙古人というのは大変素朴でいい人たちです。しかし、遊牧民の原理というのは、農耕社会の原理とは全く違いますから、これで百年間支配されたら色々な意味で農耕社会の伝統は崩れていくだろうと思います。一旦、...