大正10年3月
鹿児島県肝属郡大根占町で生まれる。
昭和13年3月
鹿児島県立川内中学校卒業。
昭和17年9月
熊本高等工業学校冶金科卒業。
東北帝国大学附属金属材料研究所において、磁性合金の研究に従事。
昭和21年1月
宮崎工業専門学校助教授(金属材料学)
昭和35年
ソ連を視察
昭和36年7月
レンタカーで欧州・ロシア約5,000kmを調査。
昭和36年10月
公安調査庁資料課ソ連東欧資料室嘱託。
昭和39年
チベット人少年をインドから日本に留学させる。
昭和39年6月
特殊法人アジア経済研究所非常勤調査員。
昭和41年4月
日本経済短期大学助教授に就任。
昭和43年
自衛隊の海上幹部学校、航空幹部学校、防衛研修所、防衛大学校、富士学校等で
定期的に講義を行う。(昭和59年まで)
昭和43年8月
亜細亜大学専任講師に就任。
昭和46年2月
亜細亜大学の学生十数名を引率してサイパンを訪問。太田学長筆の慰霊碑を建立。
昭和47年6月
亜細亜大学地政学研究会を創立。顧問に就任。
昭和49年3月
ダライ・ラマ法王に謁見。ヒマラヤ各地のチベット難民センターを視察。
昭和51年4月
亜細亜大学教授に就任。
昭和52年10月
『悪の論理』(日本工業新聞社)を上梓。ベストセラーとなる。
昭和53年7月
インド、アフガニスタン、イラン、エジプト、ケニア、マダガスカル、セーシェルを調査。
昭和54年3月
ニューギニアやラバウル、ブーゲンビル、ガダルカナル、ツラギ等のソロモン諸島を現地調査。
昭和54年7月
タイ、カンボジア、ラオスを現地調査。
昭和54年10月
トヨタ自動車重役会にて講演。伊藤忠商事重役会にて講演。
昭和54年4月
オーストリア、ユーゴスラビア、ギリシャ、キプロス、イスラエル、フランスを現地調査。
ウィーンの三井物産欧州支店長会にて講演。伊藤忠商事重役会にて講演。
昭和55年7月
中国新疆のウルムチ、トルファンを視察。
昭和55年9月
フィリピンのマニラ、バギオ、ダバオ、ザンボアン等を視察。
昭和55年10月
国際電電(KDD)にて幹部に講演。
昭和55年12月
オーストラリア、シンガポールを視察。現地日本企業の幹部に講演。
昭和56年2月
富士通の幹部教育セミナーにて講義。
昭和56年7月
中国新疆のウルムチ、トルファンを視察。
昭和56年8月
インドネシア、シンガポールを視察。
昭和56年10月
インド訪問。ダライ・ラマ法王に謁見。
昭和58年8月
アジア経済研究所視察団の一員として、中国の雲南、桂林を視察。フィリピン視察。
昭和58年11月
亜細亜大学アジア研究所所長に就任。
昭和58年12月
インド洋のモルジブ、スリランカを視察。
昭和59年2月
亜細亜大学学生十数名を引率し、サイパンを訪問。再び太田学長筆の慰霊碑を建立。
昭和59年4月
伊藤忠商事重役会にて講演。
昭和59年8月
アジア研究所韓国視察団と韓国を研究調査。
昭和60年3月
中国の雲南省昆明と四川省成都の間を視察。
平成2年3月
亜細亜大学を依願退職。
平成2年4月
学校法人常葉学園 富士短期大学国際教養科主任教授に就任。
平成3年3月
東京の自宅にて逝去。享年70歳。