倉前盛通について

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三月十日と倉前盛通

昨日、三月十日は倉前の命日であった。 倉前は平成三年三月十日、東京の自宅で亡くなった。 この命日が来るたびに、この日付に多少因縁めいたものを感じてしまう。 ご存知の通り、三月十日は、日露戦争における奉天会戦に勝利した戦勝を祝う陸軍記念日であ...
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「支那」呼称と倉前盛通

現在『情報社会のテロと祭祀』の復刊を進めており、間もなく、完了する予定である。その中に、なぜ倉前が「支那」「シナ」という呼称を用いるのか説明している一節があり、これは今日でもとても重要な問題であるので、ここに抜粋し皆様のお目にかけたい。 <...
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酒に溺るる歌 倉前盛通

今回は、若き青年倉前が詠んだ歌をご紹介したい。倉前がどんな心でこれらの歌を詠んだか、お読みいただければ説明は不要のことと思う。    酒に溺るる歌 三十四首     倉前盛通 敗戦後、三年、世相きびしいさ中、一年半ばかり霧島山の麓で自炊しな...
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仮名遣と倉前盛通

「歴史的仮名遣い」や「旧字体」といった言葉がある。今ではこのような言葉があることすら知らない人々も多くいるのではないか。教育、学問、マスコミ、行政といったあらゆる言語空間で、殆ど、歴史的仮名遣いや旧字体を見ないのだから仕方あるまい。 「歴史...
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志位正二氏と倉前盛通

前回の投稿で、ソ連のスパイの話を書いたが、一般の人々にはまるで映画や小説の世界の話で、本当にスパイなんかいるのかと疑問に思う方も多いと思う。 そこで、今回は倉前と友人関係にあった元ソ連スパイについてお話ししようと思う。 その元ソ連スパイの名...
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倉前盛通のルーツ

倉前盛通は鹿児島県の生まれである。大隅半島の根占の出身ということになっているが、ここは倉前の祖父の代に移り住んだ土地で、倉前家はもともと薩摩半島南端の阿田にあった。倉前で十六代目だったという。 この阿田という所は、古事記に「阿多の長屋の笠沙...