昨日、三月十日は倉前の命日であった。
倉前は平成三年三月十日、東京の自宅で亡くなった。
この命日が来るたびに、この日付に多少因縁めいたものを感じてしまう。
ご存知の通り、三月十日は、日露戦争における奉天会戦に勝利した戦勝を祝う陸軍記念日であった。
しかし、この記念日に合わせて、第二次大戦の中で米軍は東京大空襲を行った。これにより、日本国民が三月十日を祝うことは永遠になくなり、その日は東京で焼き殺された人々を慰霊する日となった。
同じようなことは戦後にもあった。GHQがいわゆるA級戦犯たちを処刑したのは昭和二十三年十二月二十三日であったが、これは当時の皇太子、つまり今上天皇の誕生日である。
このように、日本人にとって大切な祝日に敢えて日本人の血を流すようなことを平気でやってのけるのが、アメリカ人である。倉前は、この三月十日の大空襲のアメリカの狙いについて著作の中で述べていた。そして、アメリカと手を組むのも悪くはないが、彼らのこの精神構造はしっかり理解して置くべきであるいう主旨のことを述べていた。
偶然にも、倉前はその三月十日に永眠した。その命日が巡って来るたびに、「悪の論理」で動く世界の冷酷さ思いおこすのである。
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