艶の発想

艶の発想表紙

『艶の発想:日本人の美学と精神構造』
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この度、『艶の発想』を復刊した。本書は昭和56年8月に講談社から出版されたが、長い間絶版となっていた。

当時、評論家の竹村健一氏は次のような推薦のことばを本書に寄せてくださった。

西欧社会を支配する、「悪の論理」に打ち勝った日本人の「艶の発想」とは何か?いちはやく情報化に対応した日本人の独特なこの精神構造を知ることは二十一世紀の世界に雄飛するわれわれにとっては必須の知識となろう。地政学の権威である倉前氏がこの問題を解き明かしてくれた。本書はビジネスマン、学生はもとより国際問題に関心を抱くすべての人にすすめたい良書である。

そのことばにもあるように、倉前は『悪の論理』つまり地政学の権威として知られているが、実はそれは倉前の本業ではない。倉前はもともと金属の研究者、つまり科学者・エンジニアであり、戦時中は東北帝国大学の金属材料研究所にいた。倉前のアイデンティティはこの分野にあった。戦後、倉前は奈良に移り住んだが、ある親戚の者がなぜ奈良に住んだのか尋ねたという。そして倉前は笑いながら次のように答えた。「自分は金属のエンジニアだからね。大仏さんの足の裏をちょっと削らせてもらって、研究しようと思ってるんだ」

この冗談に、倉前のもう一つの顔が、垣間見える。それは、日本文化の美、日本の美学、日本人の心の艶をこよなく愛する者の顔である。奈良は日本の文化を産んだ土地でもある。その土地に身を置いて、倉前は日本人として自らの美学を磨いたのである。しかし、そんなことは人にいうことでもないので、倉前は上のような冗談を言ったりしたのであろう。そこには大仏さまへの親しみも籠められている。

本書をお読みいただければわかるが、倉前のこのような姿は、伝統的な日本の職人の態度に通じるものがある。日本の職人は黙々と技術を磨き、神を祭り、仏を敬い、賢しらなことは口にしないのである。それが日本の美学である。

この美学なくして日本は成り立たない。本書は、それを肌で感じてはいても言葉で理解してこなかったわれわれ日本人に、語りかけてくれる。

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