自然観と科学思想

自然観と科学思想 文明の根底をなすもの

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倉前盛通著『自然観と科学思想』は昭和51年(1976年)に出版されたが、長らく絶版となっていた。しかし、これは多くの人に読んでいただく価値があると考え、復刊させていただいた。

この著作の中で倉前が示したものは、今風の言葉でいえば「文明論」である。この「文明論」は非常に的確で、その中ですでに、後に「文明の衝突」と呼ばれるような事態は予見されていた。

倉前の著作といえば『悪の論理』が知られており、倉前の業績は「地政学」や「国際政治」の文脈で語られがちである。だが、実は倉前は科学者、技術者、脚本家、歌人の顔を持ち、これらを総合した「文明論的発想」が倉前「地政学」を支えていた。つまり、倉前「文明論」なくして倉前「地政学」はあり得なかった。

国際関係の分析において「情報」や「地政学」が重要なのはいうまでもないが、倉前はこれらに加え、「自然観」や「科学思想」といった深層心理において人間の行動に作用する要素を重要視した。つまり民族の持つ「世界観」が国際社会において衝突し、紛争を引き起こすということを考えていたのである。

このような国際情勢の分析方法は、「リアリズム」や「地政学」といった「合理的」方法論では処理できないことであり、学問的にはほとんど無視されてきた。そして、国際情勢の分析に「世界観」や「文明」という物差しを用いるようになるには、1990年代にサミュエル・ハンチントンが世に問うた『文明の衝突』まで待たねばならなかった。

つまり、本書は「文明の衝突」論の先駆けであったと言えよう。

『文明の衝突』の中でハンチントンは、日本は一つの国家であると同時に一つの文明圏であると指摘している。しかし、この指摘が意味するところを多くの人が理解できないできた。その理由は、おそらく、「日本文明」は掴み所がなく、論理的に理解しにくい存在であったからであろう。肝心な日本人でさえ、自分たちのことをうまく言葉で説明できないのが現状である。過小評価されて当たり前であろう。

『自然観と科学思想』は日本人が持つ「世界観」をわかりやすく解説した本でもある。世界史や国際政治の舞台に日本というアクターが登場する以上、この日本人の「世界観」は知っておかねばなるまい。

 

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