「悪の論理」の現代史

「悪の論理」の現代史

『「悪の論理」の現代史』15

コミンテルンと悪の論理 日本の言論界や学会では、コミンテルン(共産主義インターナショナル)のことに触れることはタブーらしいが、実際に存在し、世界各地の共産主義活動に大きな影響を与えたのであるから、歴史家は大いにこれを研究せねばなるまい。倉前...
「悪の論理」の現代史

『「悪の論理」の現代史』14

陰謀と悪の論理 まずは『悪の論理』からの抜粋を、少々長くなるが、お読みいただこう。 第二次大戦が終わったあと、東京の市ヶ谷でひらかれた戦犯裁判において日本の弁護側は、この無線傍受の件を提出して、日華事変の発端が日中を争わせようとした第三者の...
「悪の論理」の現代史

『「悪の論理」の現代史』13

共産主義者と悪の論理 ゾルゲと尾崎秀実は昭和十六年十月、大東亜戦争の勃発直前に逮捕されたが、その時にはすでに日米戦は不可避に近い状應であった。ゾルゲと尾崎秀実は赤軍第五部のスバイであったといわれ、裁判の結果、死刑に処された。 尾崎秀実は朝日...
「悪の論理」の現代史

『「悪の論理」の現代史』12

砕氷船のテーゼとは まず、『悪の論理』からの抜粋をお読みいただこう。 米国は先に述べたように、日本と蔣介石麾下の国民政府軍とを戦わせて泥沼化させ、日本の疲弊を待ってから、日米戦を挑発したのであるが、一方、毛沢東の方も、廷安に追いつめられ、国...
「悪の論理」の現代史

『「悪の論理」の現代史』11

日米戦争の原因 アメリカの太平洋戦略は順調に推移していたかに見えた。しかし、アメリカは思わぬ難敵に出くわすことになった。このことを倉前は『悪の論理』の中で次のように言い表わしている。 しかし、米国はここで大海軍国にのし上がってきた日本の壁に...
「悪の論理」の現代史

『「悪の論理」の現代史』10

米西戦争 ハワイ併合と並んで、アメリカの太平洋戦略における重要な一手は米西戦争(1898年4−8月)である。アメリカとスペインの間に起きた戦争であるから、遠い海の向こうの出来事のように思いがちだが、これによりアメリカは太平洋の覇権をほぼ握っ...
「悪の論理」の現代史

『「悪の論理」の現代史』9

ハワイ併合 アメリカの太平洋戦略において最も重要な一手はハワイ併合であった。それは、現在もアメリカ太平洋軍の司令部がハワイに置かれていることを見れば明白であるし、先の大戦で日本海軍がハワイ真珠湾を先ず叩いたのも、その戦略拠点としての重要性の...
「悪の論理」の現代史

『「悪の論理」の現代史』8

アメリカの太平洋戦略 前回、アルフレッド・セイヤー・マハン(Alfred Thayer Mahan、1840-1914)について少し触れた。19世紀から20世紀にかけて、アメリカはマハンの教えに基づいて太平洋における海洋戦略を展開していった...
「悪の論理」の現代史

『「悪の論理」の現代史』7

サイパンと「マハンの地政学」 倉前がまだ元気な頃、倉前は毎年学生たちを連れてサイパンを訪れていた。その目的は、先の大戦の時に島に取り残されたご遺骨の収拾と御霊の慰霊であった。倉前はなぜサイパンにこれほど深い思い入れを持っていたのだろうか。 ...
「悪の論理」の現代史

『「悪の論理」の現代史』6

地政学の定義 『悪の論理』の中で倉前は地政学の定義について、代表的な学者の言葉をいくつか紹介している。まずはそれらをご紹介したい。 アメリカの海軍兵学校の教科書では、地政学は「政治の地理学に対する関係の科学」と定義されている。アメリカ海軍兵...