コミンテルンと悪の論理
日本の言論界や学会では、コミンテルン(共産主義インターナショナル)のことに触れることはタブーらしいが、実際に存在し、世界各地の共産主義活動に大きな影響を与えたのであるから、歴史家は大いにこれを研究せねばなるまい。倉前も日本共産党系の学者たちの憎悪の対象となるくらいには、コミンテルについて書いてきた。例えば、『悪の論理』に次のような一節がある。
いずれにせよ、西安事件によって毛沢東麾下の中共軍は全滅をまぬがれ、国共合作して日本にあたるという方針が南京政府と延安において決定したのは昭和十一年のことであった。
その前年の昭和十年に、モスクワで第七回コミンテルン大会が開かれ、全世界の共産党が集まって、直面する重大問題、「日本とナチス・ドイツによって、ソ連が挟み撃ちされる危機を、いかにして防止するか」というテーマを討議し、そこで再びレーニン地政学の「砕氷船テーゼ」がとりあげられたという。
この第七回コミンテルン大会の表面上のテーゼは、「人民戦線の結成」であり、そのように公表されたが、それは、あくまで表のテーゼであり、裏の本当のテーゼは非公開の「砕氷船テーゼ」であるということは、昭和十年代に、心ある人が警告していたことであった。しかし、コミンテルンの表面上のテーゼとして「共産主義者は自由主義者と連携して人民戦線を結成し、反ファッツョ、反戦の運動を展開しよう」と大々的に宣伝され、一部の進歩的人士がそれに同調する動きを示すような状勢下では、「コミンテルンの本当の狙いは日中を長期戦にひきずりこむことにあるのだ。蔣介石軍相手の長期戦は国力を消耗するだけであり、直ちに終結せしめるべきだ」という正論は全く世間から相手にされなかった。
そればかりか、新聞が書き立てる「蔣介石討つべし」の強硬論(これを最も強く主張したのは朝日新聞であった)に煽られた民衆の白眼視を買ったばかりでなく、頭に血の昇った軍部からは「米英の第五列、人民戦線のスパイ、反戦反軍通敵行為」という名で、弾圧の対象にされた。憲兵隊は、こういう正論をことごとくつぶしてしまったのである。
まことに、人民戦線テーゼは、軍部の目をあざむく「おとり作戦」であった。本当のソ連のエージェントは、右翼や愛国主義者の仮面をかぶり、軍部に接近して、対支強硬論を煽っていたのである。その代表的人物が尾崎秀実であった。彼は近衛文麿の秘書にまでなって、国家の中枢部に喰いこんでいたのである。(倉前盛通『悪の論理』より抜粋)
いまだに尾崎秀実を英雄の如く扱っている言論人、学者、映画監督などがいるが、このような人たちの背景にはコミンテルンの流れを汲む人脈が存在するのであろう。いい加減、日本社会をコミンテルンの軛から解き放たねばならぬが、やはり、戦後GHQはそれを利用し、その上に新たな軛を加えたのであろう。戦後日本の根本は何一つ変わっていないではないか。それは現在メディアに頻繁に登場する言論人、学者、評論家が、「進歩的人士」の顔をして、裏では古臭い共産主義、全体主義の国々と繋がっているのを見ればわかる。もちろん、現在の保守派の中にも「偽装マルキスト」たちは入り込んでいるであろう。
冷戦が西側の勝利で終わった時に、その混乱を逆手にとって共産主義者たちはうまく西側に潜り込んだであろう。それはフランクフルト学派と左翼運動との関係について少しでも聞きかじった者ならば、容易に想像がつく。その結果、冷戦終結から30年後の今、アメリカで何が起きているであろうか。一目瞭然である。メディア、文化、芸術は極度にリベラル化し、ついには左翼の手に落ちた。自由の国アメリカで、ここまで露骨なメディアによる情報統制と検閲がまかり通るとは一体誰が想像できたであろうか。ただ、「進歩的人士」を気取る者たちには「大衆」の底力を過小評価する傾向があるようで、真実に気づいた大衆からの支持は得られないのが常である。
次回は、日本の「進歩的人士」の先駆けで、朝日新聞記者、ソ連のスパイ、そして総理大臣の秘書まで務めた尾崎秀実について触れたいと思う。
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