『「悪の論理」の現代史』5

通商国家・日本

前回、海洋型と大陸型の地政学の違いについて少し触れた。日本は海洋国家であるから海洋型の地政学を採用すべきであるところ、戦前の陸軍はドイツ式の大陸型地政学に傾倒し、それに引きずられるかたちで日本は大陸型の発想に染まっていき、破局を迎えることとなった。倉前の主張は簡単にいうと、こういうことであろう。

しかし、当時、帝国海軍は何をしていたのだろうか。帝国海軍の生みの親はイギリス海軍であり、伝統的に親英米の気質を持っていたので、もしこの海軍が頑張れば日本は海洋型地政学を実践できたのではないかという疑問も湧いてこよう。イギリスがその強大な海軍力を背景に、海洋型地政学を以って世界経済を席巻したことはよく知られている。海洋型戦略の基本は今も昔もこれに尽きる。

しかし、様々な理由から、戦前の日本はこの戦略を持つことができなかった。その要因の一つに海軍首脳のメンタリティも含まれるであろう。何もかも陸軍の責任してしまうことはできない。その、海軍首脳のメンタリティとは何か。端的に言えば、シーレーン防衛、海上交通の安全を忘れたことである。

これは大東亜戦争の戦史をひもとけばすぐにわかることであるが、当時の海軍の戦略は、太平洋上で米海軍と決戦を行い、これを撃滅し、制海権を確立するということであった。いかにも陸軍的な発想ではないか。そのため、海軍は来たるべき決戦の時を待ち続けていた、その場を太平洋に求めていた。そのための立派な戦艦も揃っていた。しかし、彼らは目の前の強敵に気を取られてか、そもそもそれ以外の戦略を知らなかったのか、海軍の基本をすっかり忘れてしまっていた。

海軍の第一の任務はシーレーンと味方の船舶の防衛である。敵を撃滅するのは結構だが、その間にシーレーンを奪われ、味方船舶を沈められては国家として立ち行かなくなってしまう。先の大戦中、いったい何隻の船舶が沈められただろうか。海軍を殊更に美化する風潮が戦後からずっと続いているが、彼らの責任はもっと問われて然るべきである。これは想像だが、シーレーンや船舶の防衛では陸軍の下請けになってしまうというような考えが、海軍首脳の中にあったのではないか。

しかし、イギリス海軍はこの海軍の基本に忠実であり続けた。そのおかげで大英帝国は日の沈まぬ帝国と呼ばれるほどの繁栄を築けたのである。つまり、世界中で取引を行う通商国家・大英帝国は、その海軍によって支えられていたのである。そこにあったのは、陸軍の下請けなどという卑屈さではなく、海を守る誇りであろう。結局のところ、日本海軍には生みの親のイギリス海軍のこの思想は根付いていなかったのであろう。帝国海軍の首脳も大陸型の発想の持ち主で敵の撃滅しか頭になかったのだろう。

しかし、幸か不幸か、戦争に破れ、陸海軍を解体された日本は通商にしか生きる道が残されていなかった。それは世界の海に出て行き、資源を買い、製品を売ることであり、戦前はそれがしたくてもできなかったことが皮肉にも戦争に負けた後に可能となったのである。そして、陸海軍の何のしがらみもなくなり、自ずと海洋型発想が日本の戦略の中心となり大成功を収めた。そこで活躍したのが総合商社という存在であった。これについて、倉前は次のように述べている。

戦後、つまり1945年以降の日本は、地政学を全く忘れていたが、世界経済の環境が通商自由の方向へ向かったため、知らず知らずのうちに、大商社が海洋戦略方式を世界にくりひろげ、日本の経済復興をなしとげた。戦後、日本の復興の原因は無意識裡にすすめられた海洋型地政学のたまものである。しかも、それを推進したのは総合商社という名の新しい連合艦隊であった。

したがって、倉前は大陸型発想が日本の中に台頭してくることを危険な兆候として注意を促していた。大陸型発想とは、旧ソ連や共産中国をモデルとする社会主義的発想、つまり左翼的、閉鎖的、統制的な発想がこれにあたる。現在でも共産中国や北朝鮮などが日本国内にある配下の勢力を使って日本の言論の自由に介入し、言論を統制しようとするのは、その現れであろう。日本人は、近代西洋人が自由に目覚めるはるか以前から自由の民である。海を渡り、通商を行ってきた民である。日本がとるべき道は明らかである。

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