地政学と日本人
「二千億ドルのエージェント」の次の章の冒頭、つまり『悪の論理』の本編の冒頭で倉前は、地政学について次のように述べている。
地政学とは地理政治学(英Geopolitics; 独Geopolitik)のことで、その他の科学と同じように、いくつかの仮説によって構築された理論体系である。もちろん、すべての社会科学がそうであるように、地政学も虚構論理のひとつである。しかも、虚構論理は、その「仮説性の大きさ」ゆえに人を陶酔させるものであり、毒にも薬にもなる両刃の剣と云える。地政学は敗戦後、米ソの占領政策によって日独両国における研究が禁圧されたため、戦後育ちの日本人はほとんど完全に地政学の名称さえ忘れ去ったようである。
つまり、倉前は『悪の論理』という地政学の入門書の中で、「地政学は虚構論理のひとつである」と述べるところからその手引きを始めているのである。ここでいう虚構論理とは、何も嘘とかデタラメという意味ではなく、絶対的な「実体」が伴わないものという意味であろう。
社会科学というものは、その論理性という点において「科学」ではあるが、対象が「社会」という、見方によってはどんな形にも見えてしまうものを扱うため、そこにはいろいろな説が存在し得る。どれも絶対的に正しいとは言えないが、間違っているとも言えない。これを指して、倉前は虚構論理と呼んでいるいるのである。
この認識は地政学を学ぶ上で不可欠なことで、そうしないと地政学を学ぶ者はこれに陶酔してしまう恐れがあると倉前は注意を喚起するが、倉前の脳裏には第一次大戦から第二次大戦にかけての日本陸軍の失敗があったのではないだろうか。この辺りに、もともと自然科学者・エンジニアである倉前の冷静さを垣間見ることができる。
しかし同時に、倉前この地政学という虚構論理を日本人は学び、使いこなさなければならいと考え、『悪の論理』なる地政学の入門書を世に送り出したのである。それは、地政学が国際戦略の基本原理であるからである。世界の指導者や軍人たちは皆、この虚構論理である地政学を学び、それに基づいて政策や戦略を推し進めているのである。その結果、世界はその虚構論理の通りに動くことになる。そして、そんな世界の中で日本人だけがそれを全く知らないのである。
これがおよそ40年前の日本の実情であった。敗戦後の占領政策により、地政学という言葉は日本の言論空間から抹殺されてしまっていたのである。地政学という言葉が完全に復権した今日でさえ、地政学は学問などではないと息巻く人々がいるが、彼ら自身、地政学の「虚構性」を全く理解していないのであろう。地政学を学ぶ者の中に、これが本当の学問であるなどと本気で考えている者はいないであろう。しかし、国際社会を生き抜くためには、そこで生き抜く術、つまり国際戦略の基本原理としての地政学を知らなければならないのである。
この辺に、倉前がこの地政学の入門書に『悪の論理』というタイトルを与えた理由があるように思われる。それについては、次回詳しく述べてみたい。
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