「二千億ドルのエージェント」とは
『悪の論理』の冒頭には「二千億ドルのエージェント」というドキュメント・フィクションが収められている。これを読んで、その背景にある日本を揺るがした大事件がすぐに頭に浮かぶ若者は、もうほとんどいないのではないだろうか。
倉前は「二千億ドルのエージェント」について、『悪の論理』の中で次のように述べている。
「二千億ドルのエージェント」は昭和51年2月、米上院のチャーチ委員会の証言により、児玉誉士夫氏がロッキード社の秘密エージェントであることが暴露された直後に一夜で書きあげ、会員制雑誌『選択』に掲載されたものである。
つまり、「二千億ドルのエージェント」はロッキード社のエージェントであった児玉誉士夫から着想を得たということである。しかし、「二千億ドルのエージェント」に登場する主人公・英(はなぶさ)のモデルが児玉誉士夫であったという訳ではない。英は洗練された国際ビジネスマンとして登場する。倉前はそんな英を「クールで抜け目のない悪人」として描いている。
一方、児玉誉士夫という人物は、「悪人」であることに変わりはないが、「クール」とか「抜け目がない」という次元ではなく、「政財界の黒幕」とか「フィクサー」と呼ばれるような、もっとドロドロした「大悪人」である。
ここで「悪人」について触れておかねばなるまい。これについては倉前の説明が最もわかりやすいので、ここに引用しておきたい。
悪人とは何も邪悪な人間という意味ではなく、国際社会の非情冷酷さを知らず、デモクラシーとか人権とか人民解放なぞというような上っ面の飾り文句で、国際社会が動いているかのように思いこんでいる善人に対比して、人間と社会、ことに国際社会のみならず、力関係の入り乱れた社会の狡智と冷酷さを十分わきまえた上で、それに対応する手をうつことのできる強い人間のことを悪人と称してみただけのことである。
これに照らせば、児玉誉士夫という人物はやはり「大悪人」といえる。児玉のキャリアは右翼の闘士というところから始った。右翼といっても戦前の右翼は「大アジア主義」という思想が根本にあって、アジアの連携をめざしていた。児玉は幼い頃朝鮮に住んでいたこともあり、やはり、アジアというものを強く意識して育ったのではないだろうか。後に、右翼活動で満州に渡ったりもしている。
そして、右翼活動によって児玉は外務省や陸軍、海軍と繋がりを持つようになり、そして、これが戦後大きな人脈となり児玉を支えることとなる。また、海軍との繋がりにより、児玉は海軍の戦略物資の利権を手にしていたが、政商としての顔はこの時に形成されていったのであろう。
戦後の昭和21年、児玉はA級戦犯の容疑者として巣鴨プリズンに収監された。そして、昭和23年12月24日に児玉は釈放されたのだが、この時、世界情勢は大きく変わっていた。戦後まもなく米ソの対立が顕著になり、初めは日本共産党を支援していたGHQも、政策の大転換を行なわざるを得なくなっていた。いわゆる「逆コース」である。つまり、アメリカは「反共」に舵を切ったのである。
そこでアメリカCIAが目をつけたのが、「右翼」であった。いうまでもなく、「右翼」は「反共」と通じる。CIAは協力的な右翼をリクルートして彼らのエージェントとして使うことを思いついたのである。そして、児玉はそのようなエージェントの一人となった。
こうして、児玉は政界に深いパイプを築いていく。大物右翼の児玉にとって、それはそれほど難しいことではあるまい。旧陸海軍との人脈も生きていたし、加えて、児玉は闇社会にも大きな影響力を持っていた。児玉にはこれらの世界から情報が集まり、それはCIAに流れていくが、逆にCIAの工作の窓口にも使える。まさに打って付けのエージェントである。
しかし、この児玉の真の裏の顔は、昭和51年2月に、アメリカ上院外交委員会に設置された「多国籍企業小委員会」において、暴露されてしまった。これが、かの有名な「ロッキード事件」の引き金となった事件である。この小委員会はフランク・チャーチ上院議員によって率いられていたため「チャーチ委員会」と呼ばれる。
実は「チャーチ委員会」には「情報活動調査特別委員会」と呼ばれる別のものもあり、こちらはCIAの海外での違法行為などを暴いた。委員会こそ別であるが、チャーチ上院議員という同一人物に率いられた委員会である。「多国籍企業小委員会」でロッキードの秘密代理人であった児玉の存在を暴くことで、CIAと児玉の関係を暴き、CIAのスキャンダルにまで運ぶ意図があったのかもしれない。
倉前は、この国際社会の冷徹な論理を基にして「二千億ドルのエージェント」を一夜で書き上げた。そこに倉前はどんな思いを込めたのだろうか。第二、第三の児玉誉士夫が出てくることを期待したのだろうか。いや、そうではあるまい。「二千億ドルのエージェント」の主人公「英(はなぶさ)」は確かに「悪人」ではあるが、彼にはどこか日本的な大らかさが感じられる。つまり、倉前は読者に、時として日本的な「悪人」となって国際社会の舞台で戦わなくてはならない、ということを言いたかったのであろう。それは、大陸的「悪人」であった児玉のようになれというのではなく、飽くまでわれわれは日本人として生き方を忘れるべきではない、これが「英」に込められた倉前のメッセージではないだろうか。
そして、それが『悪の論理』へと続いていくのである。『悪の論理』について、倉前は次のように述べている。
日本は、とりわけ善人の多い国である。せまい島国の中で一言語、一民族、一国家という家族的国家を数千年にわたって維持してきたおかげで、国際社会の狡猾さについてはほとんど無知といえる。そこが日本人の良いところでもあるが、同時に重大な欠点ともなっている。そこで、いまや、否応なしに、国際社会の渦の中へまきこまれてゆく日本人が、最小限度、知っておくべき悪党の論理のひとつとして、地政学の初歩的な入門書というより、漫歩書を編んでみた。
『悪の論理』はまさに「英」となる気構えのある読者におくられた書といえる。
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