『「悪の論理」の現代史』12

砕氷船のテーゼとは

まず、『悪の論理』からの抜粋をお読みいただこう。

米国は先に述べたように、日本と蔣介石麾下の国民政府軍とを戦わせて泥沼化させ、日本の疲弊を待ってから、日米戦を挑発したのであるが、一方、毛沢東の方も、廷安に追いつめられ、国民政府軍に完全に包囲され、あと一歩で国外(ソ連へ)亡命の寸前まで追いつめられながら、張学良の起こした西安事件によって、「国共合作して対日抗戦をやろう」という方向へ大勢を転換させることに成功した、「したたかな悪党」である。

毛沢東が考えたことは「まず、蔣介石軍は日本軍に叩きつぶさせよ。中共軍は背後にかくれていて、決して日本軍の正面に出て戦ってはならぬ。勢力を温存しておくためである。そして、蔣介石軍の精鋭が壊滅したあと、日本軍を叩きつぶす役目は米国にやらせよう。そのためには、日本国内の仮装マルキストと共謀して、日米決戦を大声で呼号させよ。日本が支那大陸に大軍を残したまま、米国との戦争に入れば、海洋と大陸の両面作戦となり、疲弊した日本は必ず敗北するであろう。日本が敗北したあと、日本の荒らしまわった跡は、そっくり、われわれの手にいただくのだ」という大謀略であった。

この戦略は「砕氷船テーゼ」とよばれる地政学の最も邪悪なテーゼであり、レーニン、もしくはスターリンが提起したものといわれているが、ソ連内部の密教については、明確にされていないものが多いので、文献として明示できないのは残念である。スターリンも、この砕氷船テーゼを採用して、次のように考えていたといえる。

ドイツと日本を砕氷船に仕立てあげよ。ドイツがソ連へ攻めこんでこないよう、ドイツをフランス、英国の方向へ西進させよ。ヨーロッパ共産党はナチス・ドイツヘの非難を中止して、ドイツと英仏の開戦を促進させよ。また、日本が満州を固め、蔣介石と和解して、シベリアヘ北進してこないよう、日本と中華民国との間に戦争を誘発させよ。中国共産党は国民党内部に働きかけて対日抗戦論を煽れ。日本の共産主義者は偽装転向して右翼やファシショの仮面をかぶり、軍部に接近して、「暴支膺懲」「蔣介石討つべし」の対中国強硬論を煽れ。

日本が中華民国との戦闘行為に入ったら、できるだけ、これを長期化させるように仕向けよ。そのためには「長期戦論」「百年戦争論」を超愛国主義的論調で煽れ。日本と国民政府との和平工作は、あらゆる方法で妨害せよ。そして、長期戦によって疲弊した日本を対米戦に駆り立て、「米英討つべし」の強硬論を右翼の仮面をかぶって呼号せよ。

日独が疲れた頃を見はからって米国を参戦させよ。米国の力をかりて、ドイツと日本を叩きつぶしたあと、ドイツと日本が荒らしまわったあとは、そっくり、ソ連の掌中のものになるであろう。

大体、以上のようなものであったと推測されている。つまり、「共産主義者は自ら砕氷船の役目を演じて、氷原に突進し、これを破粋するためエネルギーを浪費するような愚かな真似をしてはならない。砕氷船の役割はアナーキストや、日本、ドイツのような国にまかせるように仕組み、われわれはその背後からついて行けばよい。そして、氷原を突破した瞬問、困難な作業で疲労している砕氷船を背後から撃沈して、われわれが先頭に立てばよいのだ」という狡猾な戦略である。ロシア革命の前夜においても、アナーキストが砕氷船の役割を演じたが、十月革命後、アナーキストはことごとくレーニンの党によって処刑され消されてしまった。

第二次大戦では日本とドイツが砕氷船の役割を、まんまと演じさせられ、日独の両砕氷船が沈没したあとを、ソ連と毛沢東の中国と米国の三者が、うまく分け前をとり合ったわけである。ゾルゲや尾崎秀実は、日本を砕氷船に仕立てるために多大の功績を残したソ連のエージェントであった。

尾崎秀実が対中国強硬論の第一人者であったこと、対米開戦を最も強く叫んだ人間であったことは、戦後、故意にもみ消されて、あたかも平和の使者であったかのごとく、全く逆の宣伝がおこなわれている。

以上、『悪の論理』からの抜粋。

この「砕氷船のテーゼ」という言葉は倉前の著作でたびたび登場する言葉である。これを倉前が勝手に作った造語と勘違いしている方々もおられるようだが、それは違うと先ず述べておきたい。ただ、倉前の著作以外ではあまりお目にかかることのない言葉であるのは確かである。では、学問の世界の中で「砕氷船のテーゼ」なるものが本当に実在するのか。

「砕氷船のテーゼ」は英語で「Icebreaker theory」という。より学問用語らしく翻訳すれば「砕氷船理論」とでも呼べばよいだろう。ただ、この「砕氷船のテーゼ」を学問的に云々するということに、さほど意味はない。それは倉前も述べている通り、その「テーゼ」が生々しい政治の道具になっているからである。それに学者というものは現在進行形の政治的事象に関して、あまり積極的に論文を書きたがらないものだ。全ての材料が出揃っていないのだからそれもまた仕方ないことではある。

しかし、この「Icebreaker theory」に関する論文や著作が全くないかといえば、そうではない。数は多くはないが、あることはある。

まず挙げなければならないのは、ロシアの歴史家で元赤軍情報将校であるビクトル・スボロフによって書かれた『Icebreaker: Who Started the Second World War?』(1990)であろう。これはロシア語で書かれた本(原題: Ledokol, Ледокол) の英語版であるが、日本語に訳せば「砕氷船: 誰が第二次世界大戦を始めたのか」となる。その内容はというと、残念ながら筆者の手元にないので確かなことは言えない。ただ、スボロフ氏が2009年にアメリカ・ワシントンDCのウッドロー・ウィルソン・センターで講演した際の動画がYoutube上にあり(https://www.youtube.com/watch?v=hLc53JhyFcU)、それを見てみると、彼の学説は「ソ連のスターリンはドイツのヒトラーが第二次大戦を起こすように仕向けていた」というものだとわかる。

このスボロフ説に対する批判も上がっている。例えば、学術誌『Slavic Review』に掲載されたTeddy J. Uldricks氏の「The Icebreaker Controversy: Did Stalin Plan to Attack Hitler?」(Vol. 58, No. 3 (Autumn, 1999), pp. 626-643)などは、真っ向からスボロフ説を否定している。

ここで指摘しておきたいことは、スボロフ説の真偽ではなく、歴史家たちがスターリンの「砕氷船のテーゼ」をテーマに論争を続けているということである。つまり、このテーゼの概念は世界の中に確かに存在しているということである。

赤軍の情報将校だったスボロフ氏が「砕氷船」という言葉を使ったということは、やはり赤軍内部にはこのような戦略概念が存在し、それはロシア人にとって馴染みの深い「砕氷船」という言葉で呼ばれていた、とみるのが妥当であろう。砕氷船を使わない日本人には思いつかない発想であるのだから。

ただ、このような研究が日本の歴史学会では黙殺されてきたのであろうことは想像に難くない。戦後日本の歴史学会はマルクス主義の独壇場であったことは、ご丁寧にも日本の歴史家がわざわざ本にしているほどである。まさかここまで成功するとは思っていなかったらしい。以前、憲政史家の倉山満氏がご自身の動画チャンネルの中で、学者が「コミンテルン」という言葉を使うだけで日本の歴史学会から追放されてしまうという旨の話をされていたが、やはりそうであったかと納得いった次第である。このような言論の自由、思想の自由、学問の自由のない学会には早々と沈んでいただこうと思う。そのためには『悪の論理』が必要なのである。

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