第29回 ポートブレア編(8)
高柳義信海軍二等兵曹は、軍務に就く前に農業を営んでいた。そのためポートブレアにおいては、インド人労務者の農作業監督を務めていた。しかし、それが仇となり、労務者の虐待致死・殺害の罪で有罪となり絞首刑に処せられた。
検察は次のような罪状で高柳海軍二等兵曹を起訴した。
1945年6月、当時ポートブレアのブンブリタンで労務者の監督をしていた高柳被告は、労務者の一人プラン・シンに虐待を加えた。ある日、プラン・シンが職場に姿を見せなかったため、高柳被告がシンの家に様子を見に行くと、そこでベッドに横になっているシンを見つけた。そして高柳被告はシンを棒で殴った。翌日もシンの家を訪ね、ベッドに横になっているシンを酷く殴った。そして、その日の夜にシンは死亡し、翌日埋葬されたという。
高柳海軍二等兵曹の供述によれば、プラン・シンはしばしば仕事を無断欠勤し、仮病も使うことから問題視されていたという。そのため、高柳二等兵曹はシンの家を訪れ、そこでベッドに横になっているシンを見つけた。そこで高柳二等兵曹は棒でシンの肩を小突いた。しかし、シンがマラリアに罹ったというので、仕事には出て来るようにと言い残し、高柳二等兵曹は帰ったのである。その三日後、別の労務者が高柳二等兵曹のところへ来てマラリアにかかったシンのために薬をくれるように頼むので、薬を渡したのだという。高柳二等兵曹がシンの死亡を聞いたのはその一週間後であった。
検察の証拠は、唯一の目撃証人とされるアルジャン・シンの証言と他の4名の労務者による供述書からなる。アルジャン・シンは、高柳被告が2日続けてプラン・シンの小屋を訪れ、暴行したためにシンは頭から出血し翌朝に死亡したと法廷で証言した。しかし、裁判の前の供述書では、プラン・シンは暴行を一度受け、その直後に死亡したと述べており、自身の供述書と証言が食い違うのである。アルジャン・シンは以前、高柳二等兵曹に殴られたことがあり、その時の恨みを持っていたと考えられ、このような悪意を持った証人の証言は信憑性を著しく欠く。また、バサント・ラルという労務者は供述書の中で、プラン・シンの体に血はついていなかったと述べており、これは証人の証言と明らかに食い違うものである。
アルジャン・シン以外の検察の証拠は、事件を直接目撃したものではなく、伝聞を供述したに過ぎない。しかも、これらの供述書は宣誓の下に作成されたものではなく、証拠能力が薄弱である。
高柳被告は法廷において、罪状を否認し、宣誓のもとに証言した。その中で、寝ているプラン・シンを起こすために棒で肩を小突いたことは認めたが、シンの死因はマラリアだったと主張した。これは、バサント・ラルの供述の中でもプラン・シンはマラリアに罹っていたとあることからも信憑性が高い。また高柳被告はインド人料理係のヤナイルを通じてシンに薬を与えたと、具体的に証言した。しかし残念なことに、このヤナイルは裁判の時には既に死亡していて、高柳被告のこの証言を裏付けることができなかった。
裁判の結果、法廷は検察の証拠を採用し、高柳海軍二等兵曹に絞首刑を言い渡した。
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