秘録 BC級戦犯裁判 20

第20回 ペナン裁判 (十三)

横見忠夫曹長は広島県出身。享年二十八歳。横見曹長もまた他の同僚と同じく、容疑者取り調べ中の虐待を罪に問われた。しかし、同僚と同じく、横見曹長に関する検察証言にも確たる証拠となるものはなかった。例えば、クレメント・デニスという者の証言では、横見曹長がその者にタバコの火を押し付けたことになっているが、その証人の体にはそれを示す火傷の痕が見当たらないのであった。また、検察証人の中で中心的な役割を果たしたバグー・シンという、かつて日本軍の下で働いていた者は、その証言の中で横見曹長について一切触れていないのである。横見曹長が死刑に値するような事件を起こしていたのなら、この人物が全く知らぬなどということはあり得ない。また、ハリーという人物が勾留中に死亡した件が裁判で問題となったのだが、横見曹長はこの者の取り調べを行ったことは認めたものの、その者が死亡したとされる時にはシンガポールにいたのであった。このアリバイを崩さない限り、検察は横見曹長がこの人物を殴り殺したとは言えないはずなのだが、実際のところ横見曹長のこのアリバイが崩されないまま死刑判決が言い渡されたのである。

『世紀の遺書』のに収められた横見曹長の遺書を紹介したい。

書置の事

戦争終結一ヶ年有余、音信杜絶えしより御無沙汰致し皆様に御迷惑をおかけして申訳けありません。此度敗戦による犠牲として死刑になります。然し之れは決して破廉恥的の行為をしたためではありません。天地神明に誓って申上げます。故に世間の人が如何なることを申しませうとも自分を信じて下さいませ。

-中略-

 親戚一同様

長らく御無沙汰し御迷惑ばかりおかけ申し訳けありません。呉々も幼き者、女子なる故宜敷御願ひします。

以上御願ひと御詫びの言葉と致します。

死するに当り現在の心境を歌に詠みて

南海の小島の野辺に散りゆくも魂(こころ)は祖国(くに)の礎石(いしづえ)たらん

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