第24回 ポートブレア編(3)
『世紀の遺書』に金子上等兵曹の遺書が収められている。それをご覧いただこう。
手紙
母上様御変りはありませんか。今日は腸のちぎれる思ひで御便りを書いて居ります。私は此の度御国の敗戦の為、戦争犯罪の一件に依り、シンガポールの英軍軍法会議にて裁きを受け絞首刑となり、チャンギー刑務所で刑死する事になりました。人違ひでありますが敗戦国軍人の悲しさ。自分の主張は通らず、一方的裁判の為の無実の罪です。
斯うして死ぬ身となりましても何の思ひ残す事はありませんが、只々此の事を聞かれた母上の事を考へると、親不孝続きで済まないやら、御なげきになる御心を察し胸は張りさけそうです。
自分としては無き命とすでに八年前家を出る時覚悟はして居ましたので、何卒私の心境は御安心なさつて下さい。(中略)
家の事に就いて心配ないのが何よりです。〇〇はじめ弟妹によろしく。
尚遺髪も送りますが着くかどうか、あてになりますまい。(中略)
母上の長命あらん事を、家運の栄えを黄泉にてお祈り致します。父上にはよろしく御伝え致します。父上と共にあの世から家を御守り申し上げます。(後略)
遺書
昭和二十一年五月二十七日海軍記念日の日シンガポール・チャンギー刑務所死刑囚監房にて記す
記
母上様私は明日〇九〇〇、数名の同胞と共に運命の神の御召に依り戦争犯罪の名に於て当刑務所に於て果つる事となりました。真に止むを得ざるものであります。在世中は御恩返しも出来ず誠に申訳ありません。今此処に散るも未練もありませんが此の書を受取りて読まれる母上の御心を察し断腸の思です。
国の為に果つる事は新兵入団当時覚悟はして居ましたが、終戦後斯る罪名にて斃れるとは全く夢の様です。然し是れも御国の為と存じ潔よく日本男児の名に恥ぢざる様散りて行きます。
尚生前の不幸は後の世にて父上に孝養を尽す積りです。弟妹一同に宜しく。(中略)
絶対に破廉恥行為でない故、黄泉の父上の所にも大手を振って行けるので喜んで居ります。親族一同に宜しく。母上には御体を大切に御自愛の程を御祈り致します。今年の盆には帰ります。さようなら。
昭和二十一年五月二十八日午前九時(於シンガポール・チャンギー刑務所)
遺詠
日の本のゆるぎを固む人柱埋れ甲斐ある此の身なりけり
御国にも親にも道を果し得ず空しく果つる今日の淋しさ
国の為犯せし罪に果つる身の心つぎてよ残るはらから
果つる身と覚悟はすでに出来たれど親を思へば未練絶えなし
金子稔海軍上等兵曹、享年二十八歳であった。
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