秘録 BC級戦犯裁判 18

第18回 ペナン裁判 (十一)

清水定夫憲兵曹長は兵庫県出身。享年三十一歳。清水曹長は昭和十九年八月から降伏までの間、ペナン憲兵隊で任に就いていた。その主な任務は、刑務所に勾留中の容疑者を取調べることであった。その取調べの最中に容疑者を殴ったことがあるのは、本人も認めるところである。裁判において、自分は清水曹長に暴行を受けたと証言した検察側の証人は九名であったが、清水曹長自身がこれほど多くないと云っても、どうにもならない。清水曹長の名誉のために述べておくが、彼らの証言のほとんどが曖昧なもので、普通の裁判では証拠能力が疑われるものばかりであった。

それとは対照的に、あることを明確に証言した証人もいた。その証人はバグ・シンという者で、「清水曹長は虐待などせず、長く勾留されていた容疑者を釈放してくれた」と証言した。また、寺田大尉が証言するところによれば、清水曹長はナイドゥという容疑者を憐み、いろいろと親切に接し、その容疑者の釈放まで進言していたという。寺田大尉の証言とバグ・シンの証言が一致していることから、これはおそらく事実であろう。清水曹長は情け深い人で、その職務上容疑者を殴ったことを裁判で認めた誠実な人間でもあった。そんな清水曹長に言い渡された判決は絞首刑であった。これが、容疑者を殴ったことの代償であった。

清水定夫曹長の遺書も『世紀の遺書』に記されている。妻や両親に対する気遣い、故郷への思いが滲んでいるが、仏心のためか、不思議なほど安らかな文章である。

遺書

○○様へ

健在で暮らして居る事と信じて居ります。今日最後の此の世に於ける便りを出します。然し之も前世よりの運命であった事と諦めて下さい。唯心残りは僅か一ヶ年足らずの家庭生活であって而もその間何等為すべき事も為し与へず、精神的の苦労を与へた事を後悔して居ります。此の現在の気持に免じて許され度し。尚将来はお前の自由意志に任す。最後の希望は以下の通りだから呉々もお願ひ致します。

一、自分の罪は決して私的の破廉恥罪では無く国の為命ぜられて尽した事が無条件降伏のため身の仇となって処刑された事。

二、○○の将来は家庭円満を最後の目的とする自由意志に任す。

三、逆縁の不孝の自分の分も併せて両親に孝養を尽され度し。

四、自分の命日は本日(昭和二十一年十二月十二日)とされ度し。政府より特別に通報されば変更あれ。

五、敗戦後の状況 昭和二〇・一〇・二刑務所へ収容さる。昭和二一・九・二八死刑の判決を受く。同年十二月九日確定判決を受く。(現在執行日は不明)

六、健康で明朗で長寿を全うされ度し-後略-

   現在の心境

 七世を契りし心固けれど先き立つ我を許せ吾が妻

 父上母上様へ

逆縁の不孝の子定夫の罪を御許し下さい。前世の宿縁だったと諦めて下さい。唯心残りになるのは未だ充分の孝養も為さず先立つ事です。而も此の事は○○、○○、○○子が私の分も併せてきっと孝行を尽して呉れる事を信じて居ります。何卒私の先立つ不孝の罪は呉々もお許し下さい。尚最後のお願ひでは

一、○○、○○、○○子を自分定夫と思って毎日平穏にお暮らし下さい。

二、老体故充分身体に気をつけて天寿を全うして下さい。

三、家庭の円満の件呉々もお願い致します。

四、家を新築して下さい。此れが存命中の希望でした。

五、墓は祖父祖母と共に致され度く、場所は盆の上の小さい畠の一部に立てられ度し。なつかしい故郷が良く見渡せる場所を希望します。

六、次の歌は定夫の現在の心境です。

父母の浄き御恩に報いもせで散り行く吾を如何にとやせん

父母よ逆縁なれど如何にせん老少不定の命なりせば

                         合掌

  辞世

身はたとへ馬来の涯てに散り行くも魂遥か故郷の空

散りて行く吾が身は更に不安なし彌陀の御手に引かれ行く身は

子供の頃祖母や母から聴聞した法話を味って居ります。極楽浄土に行く気がします。

                                 法悦合掌

昭和二十一年十二月十二日

   陸軍憲兵曹長 清水定夫

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