濡衣で処刑されたある軍属(2)

秘録 BC級戦犯裁判

秘録 BC級戦犯裁判

第33回 ポートブレア編(12)

小島氏への死刑判決の決め手となった証拠は検察証人の証言のみであるが、その証言にはおかしな点が見られる。

まず、アナンダの証言では、彼が暴行を受けたのは石炭倉庫だったということになっているのだが、小島氏は、実際には石炭は雨ざらしで置かれていて、そもそも倉庫などなかった証言している。アナンダの証言の中に出てくる倉庫は、造船会社が使うにしては著しく小さく、まず常識的にあり得ないと弁護人に言わしめたほどなので、造船会社の石炭倉庫を見たことのないアナンダが想像で述べたのであろう。

また、マルギ・シンの証言によると、二度目の暴行は屋外で起きたことになるのだが、裁判の前に作られた彼の供述書では、屋内で起きたとされていることも不審な点である。さらに、供述書内で、彼はグル・モハメドと同じく暴行を受けたと述べているのだが、裁判ではこのことには一切触れていない。検察証人の証言と供述書が一致しないのはいかがなものか。

この裁判において弁護人は検察に次のような苦言を呈している。被害者とされる者はすべて病院で死んだのだから、その病院へ行けば死亡確認書がすぐに手に入る。それなのに、検察側はそれを調べようともしていない、と。

裁判のおかしなところはこれだけではない。

弁護側は当時日本に帰国していた小島氏の同僚を弁護側証人として出廷させようとたが、叶わなかった。裁判長が裁判の遅れを理由にこれを許さなかったのである。

1946年5月18日にグリーン裁判長が小島氏に言い渡した判決は絞首刑だった。

グリーン裁判長は、日本軍のために船を造っていたのだから、民間人といえども戦犯裁判で裁くことが出来るという見解を示し、検察証人となった元労務者たちの怪しい供述書や証言も証拠としては十分という判断を下した。

1946年6月8日、小島氏は逝かれた。

今回の裁判記録の中にあった元労務者の宣誓供述書を見て気になったことを述べておきたい。

宣誓供述書には小島氏が及んだとされる犯行の様子が述べられ、それがタイプされているのだが、小島氏の名前のKOJIMAのところだけがなぜか手書きなのだ。つまり、名前を後で書き込めるようにスペースを空けてタイプされていたのである。そこにKOJIMAと書き込んだのでその文字だけが手書きになっているというわけだ。

これは、飽くまで筆者の推測であるが、まず調査官や検察の筋書き通りに元労務者に供述させ、それをタイプしたが、容疑者の名前がわからない、もしくは思いつかないので空欄のまま残し、その後で適当に容疑者になりそうな人物の名前を書き込んだだけではないのか。

これ以外にどんな説明があるというのか、あるならばぜひ教えて欲しいものである。

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