秘録 BC級戦犯裁判 15

第15回 ペナン裁判 (八)

涌井三郎准尉は長野県出身。享年35歳。涌井准尉は昭和十九年二月から降伏までの間、ペナン憲兵隊に勤めていた。その任務は主に本部での事務処理であった。二、三度被疑者の取調べを行ったことはあったが、取り調べを受けた者からこれといった訴えもなく、涌井准尉本人も取調べ中の虐待や拷問を否定しており、当然部下に対してもそのような命令を出してはいない。しかし、裁判の判決は絞首刑であった。涌井准尉の遺書を『世紀の遺書』から紹介したい。

遺書

 御両親様へ

 つゆの身を伝へて呉れよ椰子のつき

長い間御世話になりました。敗戦と云ふ事実に依って総ては水泡に帰して了ひました。そして今天命に依りあの世とやらに召されて行く事になりました。生前何の孝養も出来ずに終った事が何より心残りです。然し私は邦家の為正しく尽し心置きなく死んで行ける事を申上げて置きたいと思ひます。私達の死に就いて兎角の風評が立てられる事がありませうが正しさは必ずや伝へられる事と信じて喜んで死んでゆきます。孫達にも此の点誤解なき様教へて下さい。又私の遺骨は内地へはおそらく届けられる事はないでせうが私の霊は必ずや故郷へ帰って行く事でせう。最後にご両親様の老後を楽しく御暮し下さる様お祈りして筆を置きます。

 ○子殿

 正しさを吾子に伝へよ母強く

総てははかない運命でした。御苦労をかけつづけて今日に至りました。死は国を立つ時の覚悟でありましたが敗戦後に無き罪に果つるとは考へても見ませんでした。然し正しさは彼南の月が伝へて呉れる事でせう。子等に私の気持を伝へて下さい。正しく導き強く育てて下さい。今迄の強い信念に更に更に強い信念を以って母としての道を守って下さい。又御両親に何の孝養も出来なかった私に代って孝養を尽して下さい。○○、○○の両弟が若し元気でしたら良き相談相手として家庭の平和を維持する事に努めて下さい。では御多幸を祈って止みません。

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