第16回 ペナン裁判 (九)
小川敬准尉は茨城県出身。享年三十三歳。小川准尉がペナン憲兵隊にいたのは昭和十七年四月から同年六月までの間だけで、その後はタイピン憲兵隊で任務に就いていた。このような短い期間しかペナンにいなかった小川准尉に対する起訴内容は、小川准尉がある男を殴ったというものだけであった。判決は絞首刑であった。ペナン憲兵隊の一員であったという事実だけで負わされた罪なのは明白である。この裁判が、個人ではなく組織を裁いたと言われるのはこういうことなのである。本来、法の下の平等とはキリスト教的な個人主義から生まれた価値観であるが、都合が悪くなるとキリスト教徒も個人主義、個人の人権を忘れてしまうらしい。否、キリスト教とにとって異教徒は「人」ではないのであった。
小川准尉の遺書を『世紀の遺書』から紹介したい。
絶筆
父母上様
本年九月二十八日死刑を宣告せられ近く執行の身と相成候。御恩に十分報いることを得ず、先立つ身を御許し下され度候。偏に父母上様の御安泰を御祈申上候。兄弟並に親族の皆様に宜敷く、尚心境左句の如くなれば御安心下され度候。
九月二十八日(死刑宣告)
春を待つ焼野が原に時雨打つ
夜嵐に人知れず散る山桜
十月十日
獄の中コホロギは我を故郷(くに)にやり
十二月九日(死刑決定)
我が父母に言の葉告げよ初燕
十二月十一日
日本晴筑波山(つくば)にかかる雲もなし
昭和二十一年十二月十一日
於ペナン刑務所死刑房 敬 拝
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