秘録 BC級戦犯裁判 28

第28回 ポートブレア編(7)

今回は山口春男海軍上等兵曹の遺書をご紹介したい。山口上等兵曹は元農業技術員であったので、ポートブレアでも農業の指導をしていたこと想像に難くない。享年二十二歳。

遺言
母上様

色々お世話に相成り孝行の孝の字もなさず、お別れする時が参りました。生きて再び顔を拝さないと征で立つ時には誓つたのですが、戦ひ終つて、しかも戦犯者としてシンガポールの露と消えなければならないとは考へ得ませんでした。これも運命だつたのでせう。然しお母さんお喜び下さい。私のとつだ道は日本人として恥ずかしくない道を歩んで来ました。どうして戦犯者となつたかはおつつけはつきりお解りに成る時も御座いませう。私の口よりは何も申上げません。只父母親類の御恩に何一つ報いずに行くのが心残りでございます。生前我儘で通して来た私では御座いますがどうかお許し下さいませ。

お母さん、お歳をとつて居られますればどうぞおいとい下さいまして末長く御幸福にお暮し下さいます様あの世よりお祈り申して居ります。お父さんの所へは往つて生前のお詫びを致します。こうやつて静かにして居りますと昔の事が色々思ひ出されます。又新しく出直して参ります。お母さん呉々もお身体に御注意下さいます様、ではお別れ致します。さようなら

これが世の最後の晩餐と思へどもいつも変らぬ味ぞよろしき

兄上様

大日本も三千年の歴史を一新し再び神代より出直す事になり多端此上もないことでせう。お察し致します。さて私儀生前は色々と御厄介になり何一つ其の御恩に報いもせず、こうして戦ひ止んで死んで参りますことは何と言つてよいか判りません。然し兄さん、私が軍籍に身を置いてより歩み来つた道は日本人として武士として恥かしくない歩み方をして参りました。これだけは喜んで貰へると思ひます。父の許に行つてもこれだけが唯一の土産物です。私は今祖国の再建を夢見つつ武士として恥かしくない死に方を致しますれば御安心下さい。そしてお年を召した母上への御孝養を私の分迄お願ひ致します。(後略)

父の許へ先に往きます。お兄さん後の母上お願ひします。

遺詠

月の色幾年たてど変りなし今宵の月を母も見るらん
椰子茂る南の土と我はなる歩みし道は人ぞ知るらん

兄姉上

父ノ許
オ先ニ往マス
濡衣デ
アトノ母上
オ願ヒ
シマス
     春男
四月十七日
(註右はハンカチに血書されたもの)

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