秘録 BC級戦犯裁判 19

第19回 ペナン裁判 (十二)

今井今朝五郎憲兵曹長は群馬県の出身で、軍務に就く前は農業を営んでいた。享年三十歳。今井曹長がペナン憲兵隊で任務に就いていたのは、昭和十八年十月中旬からその年が暮れるまでであった。つまり、ペナンには一月半しかいなかったことになる。そんな今井曹長に言い渡された判決が絞首刑である。では一体どんな罪を今井曹長は犯したのか。法廷で今井曹長に対して証言した検察証人は三人であった。その三人が訴えたことは、今井曹長から虐待を受けたというものであった。これらの証言を全て受け入れるとしても、今井曹長が彼らを殴ったことにしかならない。検察側が用意できた証拠というのは、せいぜいこの程度のものである。検察官が冒頭陳述でどんなに大げさに被告たちを責めようが、証拠はかくもお粗末なものであった。これが戦犯裁判の特徴でもある。それでも死刑判決がいとも簡単に出されてしまうのも、また戦犯裁判の特徴であった。

『世紀の遺書』に収められている今井曹長の遺書を紹介しよう。「魂の鬼となって御守り致して居ります」という言葉に、真の「魂」というものに触れた思いがした。

  遺書

 御母上様 御兄上様 御姉上様 妹 姪

今朝五郎儀、此の度の変に際し御母上様始め皆々様には生きて再び御会ひする機会を失ひましたので、一言申上度儀左に記して置きます。

今回の敗戦に際し、今朝五郎も又、日本軍人の一人として重大なる責任の一端を負ひ、国家の為に此の身を捧げる事になりました。固より昭和十二年十二月入営以来、国家に捧げつつ此の身は十年を一日の如く上司の命令を守り、軍人として恥しからぬ務を致して来、又此度は身を捧げるについては喜んで国家の為に立派な最後を為す覚悟であります。

唯此の際心残りになるのは海よりも深く、山よりも高い御母上様始め皆々様の御恩に万分の一の御恩返しも出来ず行く事です。御母上様には幼き頃より養育せられ、今此の不孝を為す事を幾重にも御詫び申上げます。兄上様には種々と御世話になり、何の相談相手にもなれなかった事が残念です。姉上様にも同様御詫び申上げます。○○子、○○子には自分が出征間何かと心遣ひをありがたく思ひます。唯此の上は御母上様始め皆々様の御幸福を、父上様、兄姉上の待つあの世に行き魂の鬼となって御守り致して居ります。

人の噂も七十五日とか、種々なる噂もあると思ひますが御心に掛けず、皆々様の御心を合せて御幸福に過ごさられる様御祈り申上げます。自分の死が知らされた日か又は此の書が着いた日を命日と定め、線香の一本でも上げて下さい。尚親類御一統様にもよろしく申上げて下さい。

逆縁に結ばれし身ぞあわれなるせめて告げたや詫の一言

敷島の大和男の子と歌はれて果てる此の身を花にたとへて

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