お国のために無実の罪を受け入れた三人

秘録 BC級戦犯裁判

秘録 BC級戦犯裁判

第35回 ポートブレア編(14)

三浦光義海軍上等兵曹、櫻田辰五郎氏(民間人)、福本幸男海軍二等兵曹の3名もポートブレアでの現地住民暴行致死の容疑で起訴され、絞首刑となった。しかし、この事件も他の事件と同様、無実の罪と言ってよい。

検察が主張する起訴内容は次の様なものである。

1945年7月当時、三人は農業労務者の監督をしており、その労務者の中に事件の被害者とされるギュラム・ジャンとピル・ドストの二人がいた。検察によると、ある日その二人が仕事に行くと、前日仕事を休んだことを福本二等兵曹に問い質された。二人が、食べるものがなかったので仕事を休んだと答えると、三浦上等兵曹、櫻田氏、福本二等兵曹の三人はその二人に対して、およそ三十分間、棒で頭や体を強打するなどの暴行に及んだ。その結果二人はその場で死亡し、別の労務者によって埋葬された。

この容疑に対し、三浦上等兵曹は1945年5月にジャンを小さな棒で二、三度殴ったことは認めたが、これは怠けて働かないジャンに規律を守らせるための制裁だったと主張した。また、それは三浦上等兵曹一人で行ったものであるとも述べた。ドストに対する暴行は否認した。また、三浦上等兵曹は、その二人の労務者はマラリアのため6月下旬か7月上旬に死亡したものであると主張した。裁判前の供述では、三浦は1945年7月にその二人を暴行し死亡させたこと認めていたとされるが、裁判ではその供述書は正しくないと主張し、起訴状にある様な暴行を一切否認した。

櫻田氏も二人の労務者への暴行と致死を否認した。1945年の4月か5月に三浦上等兵曹と福本二等兵曹がジャンとドストを殴ったと聞いたことはあったが、その二人の労務者は6月の終わりか7月の初めにマラリアで死亡したと聞いていると主張した。

福本二等兵曹はジャンとドストを殴ったことを認めたが、それは1945年7月ではなく、また、二人はマラリアで死亡したと主張した。

弁護側は二人の労務者のうちの一人は6月の終わり頃に、そしてもう一人は7月の初めに、それぞれ死亡したものであり同時に死亡したのではなく、検察の主張している場所で死亡したものでもないと主張した。また、起訴内容で登場する大きな棒で殴った事実も一切ないと主張した。

そして弁護側は次の点について最も力説した。

唯一の検察証人アジミル・カーンの目撃証言は、検察がその他の証拠として提出している別の目撃者の供述と全く食い違っており、このような矛盾を孕んでいる検察の証拠は信頼に値しない、と。

労務者管理の担当者が弁護側証人として出廷し、労務者は70から80人に制限されていたはずで、150人いたという検察証人の矛盾を指摘し、また、死亡した二人はそれぞれ別の日に、別の場所で死亡したとも証言した。その証人は、自身が労務者の班長に埋葬を指示したので、この事をよく覚えていた。

暴行致死事件として起訴されているのに死因を医学的に明らかにせず、労務者の目撃証言だけで死因を決めようというのは甚だおかしいと弁護側は最後まで主張したが、判決は三人の被告とも絞首刑であった。証言だけで死因を決められたのだから、検察にとってこれほど簡単な裁判はなかったであろう。

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