お国のために無実の罪を受け入れた三人の遺書

秘録 BC級戦犯裁判

秘録 BC級戦犯裁判

第36回 ポートブレア編(15)

今回は三浦光義、櫻田辰五郎、福本幸男の三氏が無実の罪を受け入れて逝かれる折にご家族に残した遺書をご紹介したい。これらを一読すれば、もう何らの説明もいらないと思う次第である。

遺書
〇〇殿

永い年月色々と御心労をかけ申訳ありません。今度自分は不幸戦争犯罪者として逝くが之偏に国家の為に尽したる今日何等心に懸る雲もなく、安らかに昇天して行く事が出来るのを嬉しく思つて居ります。無実の罪で笑つて死んで行くなど想像も出来ないことでせう。敗戦と言ふ大変事はあくまで冷酷に自分達を運命づけて行きます。でも皆が皆日々楽しく笑つて死地に赴きますのは日本人であるからでせう。日本の再建を信じて居るからです。今こそおれは日本人であると云ふ信念を堅持する時ですね。やがて雪も溶け春風の訪れと共に花咲き実結ぶ時期も遠からずと信じます。仮令身は異郷「シンガポール」に果つる共心は必ずや故郷に帰り何時迄もお前達を見守るでありませう。後事何分よろしくお頼みします。近親者の皆様に自分の不孝をお詫びしていただきます。では強く元気でお暮し下さい。

〇〇殿、〇〇殿

お前達の成人を見ずに往くのが残念なり。されど母を父とも思ひ元気よく成人して下さい。父は国のために従容死につきます。すべての疑も満足して受入れるだけの度量を持つて居ります。どうかお前達もすこやかに大きくなつて柔しく愛を以て家事に励み、家門を興し立派な日本を再建して下さい。それが若き日本のお前達の務めです。父はお前達の身近にいつも必ず居るから心丈夫に働きなさい。それでは朗かに仕合せに暮す様 さようなら

天と地を隔つと言へど御身逹の指針となりて我れ進まなん
三浦光義

遺書

母上長い間色々お世話になりました。本当に親孝行らしいなにもする事なく、今度お国のために一生懸命働いて唯勝つ事にのみ努力したのですが不幸敗戦の結果戦犯者となつてしまいました。決して破廉恥な事をして家の名を恥かしめる様な事は少しもしてをりませんから安心して笑つて死ねます。母上どうかいつ迄もお元気で長命してください。御機嫌よくお暮しの程祈つて居ります。

妻○○殿

長い事何かと面倒をかけてばかりをりまして何一つしてあげなかつたばかりでなく此度の件によりお前の今後は尚棘の道が続く事でありませう。本当にすまないと思つて居りますがどうか年老いた母上のお世話をよろしくお願ひします。そして私は国のために立派に死んで行くのであるから正々堂々、日々朗かに暮して呉れる様頼みます。体を大切に長生きして下さい。
櫻田辰五郎

遺言
父上 母上

長い間色々御面倒を戴いて有難うございました。長男として先立つこと非常に申訳ありません。然し乍ら今度の件、御国の為只管御奉公致して其れが敗戦と云ふ大変時の結果生じた事で些も私事なく国家の名誉の為にした事であるから許して下さい。

御病気の母上は其後如何でせうか。どうか一日も早くおすこやかになられます様。

事件の内容に就いては一所に勤務して居りました木倉村藤田清君に聞いて下さい。

それではどうか何時迄も御仕合せにお暮し下さいます様。親類の皆様、布田健太郎君並に役所の方々によろしく御鶴声下さい。

〇〇、〇〇、〇○殿

長い間何かとお世話になつた儘で、兄として何一つ面倒を見てあげる事が出来なかつたのを残念に思ひます。小さい時のことを考へると楽しい夢の様です。私はお国が敗れたがために戦犯人として罪せられましたが悪いことをしたのではないから安心して死んでいけますが皆も此の点よく察して下さい。父上母上への御孝養どうか私の分迄お願ひします。

遺詠

みはたとへ異国の土にきゆるとも残し置くぞ大和魂

昭和二十一年七月十一日
福本幸男 二五才

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